今、大人になって社会に参加することに不安、恐怖を感じ、あるいは社会に参加する気力や興味がなく、家の中に引きこもり、自分をどう朋扱ったらいいのか、すっかり因っている若者が多いのです。これは、昔の若者たちの様子とは異なります。
「自分は、いかに生きるべきか」と悩んでいるのではありません。精神的な病によって社会を拒否するようになっているわけでもありません。
もちろん、精神病のケースもあるけれども、今、私たちの目の前にいて、私たちの心を悩ませているのは、明確に精神病と診断を想定できないのです、社会不参加のケースである。彼らは、プライドが高くて競争で負けることをきらい、他人の気持ちを敏感にばかり、空想のなかで多く夢を追い、しかし挫折を恐れて行動しない、そんな傾向が強いのです。
外の人の目を極端に意識して、人の前で恥をかきたくないという思いが強く、心にまったく余裕がなく、したがって精神疲労になりやすく、その反面家族に極端に甘えます。それは暴力的に表現されることもある。これらの若者は、「人格障害」とか「境界型人格」とか、あるいは俗っぽく「子ども大人」などといわれて、社会的問題になりつつあります。
どういう名称を与えようと、病気ではないから、病気に対する治療法というようなものが発明されるわけではありません。病気に治療や社会復帰や予防法という共通一般性のある法則を確立することがありうるわけでもないのです。性格とか人格とかいわれる事柄は、すぐれて子ども時代の育ち方の全過程の結果なのです。
大人になってからの性格とか人格の問題は、なにも「人格障害」の若者だけでなく、多くの大人たちの悩みの種です。たとえば、神経質な人は、自分の神経質な性格を直したいと願い、気の小さい性格の人は、気を大きくしたいと悩みます。
つまり、大人になってから、意識的に性格なり人格を変えようと思っても、それは無理なのです。自らを受容し、大人としての社会参加のなかで自分がゆっくりと変化していくのを待たねばならないのです。そして、あるとき、「自分は変わったな」と思うようなときが訪れるのです。
多くの自分の性格に悩み、自分を変えたいと願う大人たちは、このようにして成長していくのす。ところが、ここで述べたような青年たちは、「自らを受容し、大人としての社会参加のなかでゆっくりと自分が変わっていくのを待つ」なんてことができるのでしょうか。
彼らは、あの不登校の子のように社会不参加をきめこんでいますいや、学校の頃は、まだ「いやだ。あそこはいやだ」という拒否する意志もあったかもしれない。しかし、すでに大人になってみると、「いやだ」という前に「こわい」のではないだろう
だから、か。それは、やっぱり社会参加のためには、一定の力、つまり( 生きる力が子ども時代につくられていなければならないということではないでしょうか。
では、大人として社会参加するための、つまり自立のための( 生きる力) とはどんなものでしょうか、私が、多くの社会に参加することに臆病になっている多くの若者たちをみていて、考えたことです。
群れのなかに、安心していられること
集会や街の雑踏などの大勢の集まるところや親戚の集まりや職場などの自分が評価されやすいところで、普通は、多少の緊張や気づかいはあっても、「自分は自分なりに」自分を表現し、楽しみ、義務を果たすものです。しかし、これは、自分というものに対する信頼感、「私はここで自分でなくなってしまうようなことはない」という安心感に裏打ちされているのです。
社会不参加の若者たちは、「だれもボクのことをわかってくれない」とか「みんなはバカみたいに楽しそうだ。ボクだけ不幸だ」などと他人を悪くいうけれども、要するに自分が信じられないのです。他人の目ばかり気になって、自分づくりができかったのです。こういう気持ちでは、群れ(つまり社会である) のなかに自分をおけません。だから、私は( 生きる力)の第一に、「群れのなかでも安心していられること」をあげるのです。
感情のコントロールがしなやか
だれでも喜怒哀楽はあるし、この感情の感受性が生きいきしていないと、人生は豊かにはなりません。うつ病の人の感情の平板化した(悲しいレベルで)状態をみると、この喜怒哀楽の感受性の大切さはよくわかります。
しかし、それらの感情が人間としての理性を経ずにストレートに表出されると、その人の「行動はいわゆる感情的、ヒステリックと許されるような現象になります。
最近いわれる「キレる」というのも、理性を経ない感情の爆発的表出である。いろいろな社会関係のなかで、いろいろな感情体験をするわけですが、悲しみや怒りの感情は理性をくぐて沈静化され、表現の工夫がなされ、喜びや快い感情を高め、自己肯定感に結びつける努力がなされることによって、その人の感情がバランスよくコントロールされるのである。さまざまなストレスのなかにあっても、おだやかな気持ちの社会参加をするために、自らの感情のコントロールが、自らの心のなかでしっかりと行われなければなりません。自分を信頼できない人ほど、簡単に「キレる」のです。そして、自分を不幸だといって悲しみ、人生の喜びを見つけられないのです。
自律神経系がバランスよく安定していること
気持ちよく眠り、気持ちよく目覚め、空腹感があり、食事を楽しむことができ、身体に苦痛がなく、そして生体のリズムが自然のリズムに沿って、気持ちよく毎日が流れていく。その間に仕事がある。仕事はきつくても、夜の団らんと睡眠によって、翌朝にはサッパリとしている。
これが、健康な若者の生活リズムであり、それは自律神経系のリズムです。現代社会のストレスが、このような快い人生をだれにも保障しなくなってしまったのですが、今社会に参加するスタートラインの若者が、すでに自律神経系の不安定な状態では、この社会に生きていくのに支障があるのです。したがって、子ども時代にしっかりと丈夫な、バランスのとれた安定感のある自律神経系を育てなければならないわけです。