「こんちくしょう」から「ありがとう」で人生が変わる

「許せない」と思ったら発想を変えてみる

世の中というのは、理不尽なことがときどき起こる方がまともなのではないだろうか。私はつねにそう考えています。そう言ってしまうと、「理不尽なことがあって、どうしてまともな世の中といえようか…」そんな反論が返ってきそうですが、みなさん、ご自分のまわりをよく見渡してみてください。

会社でも、家庭内でもいい。また友人関係や親兄弟の間柄でもけっこうです。あらゆる人間関係において、すべてが平穏無事に何1つ文句なく過ごせているという人が、はたしてどれだけいるでしょう。

どんな関係にあっても、人と人とが交われば、そこには必ず対話が生まれ、その対話はときに摩擦となって人の心を刺激する場合があります。そういう刺激に対していちいち腹を立てて「こんちくしょう! 」と言っていたのでは、心のバランスは乱れるばかりです。

つまり、「理不尽なことがあった方がいい」というのではなく「私たちの生活には、理不尽なことが満ちている」ということを頭に置いて日々を送った方が、ずっと楽に生活できるということなのです。

そもそも私たちが身を置く社会というのは、実にさまざまな人間がいるわけです。そういう中で、いろいろなトラブルに遭遇したとき「とっちめてやろう! 」と思うのか「トラブルなんてつきものだから、まあ、いいか」と思うのとでは、そのあとの心の持ち方が大きく違ってきます。

他人の言動に対して「許せない」と思いやすい人は、怒りの深みにはまっていくのです。そして、そんないらだちの感情を言葉にし続けると、免疫力は低下していきます。根本的なことをいえば、他人の性格など、自分がいくら怒っても変えられるものではないということです。つまり、人の心を変えようとするのではなく「いくら言ってもしかたないな。だから許そう」と、自分の心を変えていく努力が大切なのです。
こういうことが実践できれば、人の心はずいぶん楽になると思います。

度を超すリラックスも病気を招く原因になる

副交感神経が優位な体質は免疫力が高い

私たちの健康は、日中にほどよく働き、ほどよく食べて、夜はぐっすり眠ることで保障されています。病気が作られるのは、この活動と休息のバランスがくずれたときです。

つまり、ストレス過剰の無理な生き方に対し、リラックス過剰の楽な生き方でも自律神経の良好な働きが妨げられ、人問は健康を保つことが難しくなるのです。自律神経から見た、楽すぎる生き方とは、毎日満腹になるまで食べて体を動かさない、不活発な生き方です。

飽食と運動不足は、副交感神経を優位にし、白血球中にリンパ球をふやします。リンパ球は、ウィルスや体内で発生した異常細胞の排除に働く免疫細胞なので、リンパ球がほどほどに多いのは、カゼもめったにひかない、免疫力の高い体調といえます。

ところが、リンパ球も必要以上にふえると、過剰反応を起こします。本来は無害な少しの異物も敵と見なして炎症を起こし、排除しようとするのです。この反応が表面化したのが、いわゆるアレルギー疾患です。また、副交感神経が優位なリラックス時には、アセチルコリンの指令を受けて、プロスタグランジンの分泌が盛んになります。

このホルモンは血管を開き、血流をふやして傷ついた組織の修復を促します。その際、組織は発熱し、知覚神経も過敏になるため、リラックス過剰でプロスタグランジンの活性が高まりすぎると、治癒反応として引き起こされるアレルギー性の炎症も激しさを増し、かゆみや痛みなどの症状が強くなります。

アトピー性皮膚炎にしろ、花粉症にしろ、近年、社会問題になるほどアレルギー疾患患者が急増し、重症化の一途をたどっています。これは、生活の豊かさを背景に、現代人の体質が交感神経の緊張型から副交感神経型へと移行した結果なのです。

例えば、甘いお菓子を食べてストレスが解消できるのは、砂糖が副交感神経を優位にする最強の食べ物だからです。しかし、食べようと思えば毎日でもケーキが食べられるようになったのは、ここ30~40年の話で、まさしくアレルギー疾患の増加が始まった時期と一致します。

ストレスに弱いが病気は治りやすい

さらにその前提には、生活様式の変化に伴う、運動量の低下が存在します。思い起こせば、青森県の私の生家に水道が通ったのは、私が小学校2、3年のときでした。それ以前は井戸水を運んで炊事・洗濯・掃除をし、入浴をしていたわけですから、家事も今とは比べものにならないくらい重労働だったことがわかります。

さらに、その後に訪れた車社会、道路や住宅のバリアフリー化により、現代人の生活は、人問を徹底的に甘やかす世界に突入しました。免疫力の高まりが平均寿命を延ばす一方、現在はリラックスの行きすぎで認知症や足腰の痛みを抱えるお年寄りがふえ、新たに「健康寿命の延長を」と叫ばれる時代を生んだのです。

運動量の低下によって、真っ先に弱るのが筋肉です。筋肉がひ弱だと、ふくよかな肉体を支えきれずに問節に過剰な負担がかかります。さらに、筋肉は静脈血を心臓に押し戻すポンプの役目を果たすため、筋力の低下に伴い血流も悪化して、体内に老廃物がたまりやすくなります。

また、運動不足は骨へのカルシウムの沈着を妨げ、骨租髭症を促進することもわかっています。これらが、中高年者が訴える足腰の痛みの原因です。すなわち、現代人が健康寿命の延長を可能にするには、年を取れば取るほど積極的に体を動かし、筋肉を鍛える努力が必要になってくるわけです。

もう1つ、楽すぎる生き方の究極の弊害として、交感神経の刺激不足によって引き起こされる、ストレス耐性の低下が挙げられます。現代人がリンパ球の豊富な免疫力の高い体質を持ちながら、病気を蔓延させている原因も、要はストレスに対抗する力の弱さにあるのです。

例えば、うつ病が国民病といわれるほど急増したのも、生まれたときからリラックス過剰で育った人間がふえた結果といえます。ガンや膠原病などに苦しむ患者さんの話を問いても、皆さん感受性の豊かさから悩みを抱え、発病に至った様子がうかがえます。

ただし、過酷な生き方による交感神経の緊張体質のストレス病に対し、リラックス過剰による副交感神経が優位な体質のストレス病は、自律神経が活発に揺れ動きやすいのが特徴です。このため、症状は激しくても、病気そのものは軽症である場合が多く、原因を治療すれば治りやすいということも、ぜひ覚えておきましょう。

その原因治療とは、甘いものの摂取を控え、各自の能力に応じた適度な運動習慣を身につけて、リラックス過剰な生き方を是正することにあります。同時にストレスを軽減する工夫も必要ですが、体に生じたストレス状態は、積極的に体を温めることでも緩和させられます。

ストレスにどのくらい耐えることができるかのチェック

疲れ目でめまいが多発!リフレのブルーベリー&ルティンは目と脳の血流をアップ

眼精疲労が悪化すると自律神経が不安定になりめまいも慢性化する

最近、増えている「めまい」の現れ方は人によって千差万別です。めまいが起こるしくみは非常に複雑で、耳や脳だけでなく体のさまざまな部分の異物が関係しています。

人間の体には、頭や体の位置を確かめてバランスを維持するしくみが備わっています。その中心的な役割を担っているのが、耳の鼓膜よりも内側に位置する内耳の「三半規管」です。三半規管は、体の傾きや回転の加速度を感知するセンサーの働きをしており、異常が生じるめまいが起こります。

めまいの大半は、体の平衡感覚をつかさどっている内耳の機能障害によるものと考えられます。
耳の若返り大作戦とその方法で紹介されている方法でめまいが改善する人もいます。

しかし、目や脳、筋肉・関節といった運動器官の異常が、めまいの原因になっている場合も少なくありません。

私たちは日ごろ、外部からのさまざまな情報を取り入れて脳に伝達しています。中でも目で見ることによって得られる情報は、全体の8~9割を占めています。

視覚の情報から得られているといえます。視覚の情報は視神経を通じて脳へ送られ、左右の側頭葉という部分にある頭の位置を認識する部分に伝わります。

ところが、何らかの理由で目が正確な情報を収集できず、左右対称でない部分が生じると、脳が混乱をきたして、めまいにつながる可能性があるのです。

めまいが起きているようであれば、原因の1つとして視覚の異常が考えられます。加齢黄斑変性などによって起こる視力の左右差や眼精疲労(重度の疲れ目)がきっかけとなり、めまいを招くことも決して少なくないのです。

単なる疲れ目だと軽く考えていると、やがて慢性的な眼精疲労に陥り、めまいをはじめ、頭痛や首・肩のこり、倦怠感などが長く続くことで、自律神経の働きにも乱れが生じ、めまいを一段と悪化させます。

眼精疲労の患者さんに
ブルーベリー&ルティンを試すと全員の視力が向上し頭痛も改善した

慢性的なめまいや頭痛を伴うほどの眼精疲労の改善には、目の血流を大幅に増やして、酸素や栄養を十分に行き渡らせることが重要になります。

そこで有効に働くのが、ブルーベリー&ルティンです。ビルベリーの主成分であるアントシアニンは抗酸化カが非常に強く、目の血流を大幅に増やして網膜の動脈硬化を防ぎます。

さらに、目だけでなく脳の血流も改善させることが大切だと考えルティンが入っているブルーベリー&ルティンを飲んでもらいました。私は、眼精疲労に悩む30人の方に、ブルーベリー&ルティンを3ヶ月間試飲してもらう試験を行っています。

30人全員が日ごろから目の疲れや痛みを実感し、そのうち7割もの人がめまい、頭痛、肩こりなど何らかの身体的な不調を自覚していました。

眼精疲労の程度は、瞳孔の大きさを見れば判別できます。20~40歳の健康な人は、瞳孔の大きさが4~6 mm。眼精疲労が悪化すると、瞳孔は縮小します。

協力してくれた30人の瞳孔は、2~3 mmまでに縮小していました。ところが、ブルーベリー&ルティンを飲んで3ヶ月後の検査では、30人全員の瞳孔が4~6 mmに回復。さらに、視力も全員が向上し、目の重苦しさや痛み、眼精疲労に伴うめまいや頭痛といった症状も全員が改善していたのです。

目の負担を軽減してくれる、リフレのブルーベリー&ルティン(シジミブルーベリー&ルティンの使用感、口コミ)

心の雑音を遠ざけるエクササイズ

浮動不安は、たいていの人にとって人生の道づれです。わたしたちは気苦労という心のバックグラウンド雑音をあんまり聴きなれてしまった結果、心に雑音がしていることさえ忘れてしまっています。このイメージ・トレーニングでは、あなたがまずこの雑音の存在を認識し、それから追いはらう…すくなくとも、気苦労がこのつぎにあなたの顔に暗い陰を落とすようになるまでの間の手助けとなるものです。

  1. ゆったりと腰をかけ、目を閉じましょう。静かな森の小道を歩いていると想像しましょう。もうすぐ木立の開けたところに出ます。空き地の真ん中までゆっくり進み、腰をおろします。
  2. どこからともなく集まった動物たちが、あなたをとりまいています。危害を加える気配はないようですが、じつはそれぞれが、あなたの心配ごとが形を変えたものなのです。身体が大きい順に心配の度合いも大きくなります。たとえば俊足のガゼルは仕事の締切り、ライオンは人間関係のトラブルです。
  3. 空き地の一方の側にハチの巣があります。ハチの一群がこちらへ飛んできてブンブンと羽音をたてます。これがあなたの浮動不安です。
  4. 動物たちの一頭を、そっとなでてやってください。あなたの手がふれるにつれて動物たちはおとなしくなり、森の奥へと姿を消していきます。あとにのこったのはハチたちの羽音だけ。
  5. ハチの形をしたちっぽけな気苦労が、1匹ずつ巣にかえっていくのを想像してください。空き地に静寂がもどりました。気苦労の種は巣に羽を休めています。明日のことは明日心配すればよし。平和があたりに満ちています。

ストレスとうつの関係性についてゃこちら。

糖尿病の意外な原因は過剰なストレスで自律神経が不安定になり血糖値が急上昇

過剰なストレスでインスリンの放出量が激減してしまう

仕事をしている現役時代は健康そのものでも「退職後、糖尿病になってしまった」「親の介護をしはじめたと思ったら子供の自分が糖尿病になってしまった」。このように、ちょっとした生活環境の変化で、糖尿病を発症する人が少なくありません。というのも、糖尿病はストレスとの関連性が非常に深いのです。

通常、ストレスが加わると、自律神経やある種のホルモンの機能を統合する中枢である脳の視床下部がまず感知します。

すると、内臓の働きが活発になったりやる気をもたらすホルモンが分泌されたり、ひいては免疫力が強まったりします。

ただし、これは過剰なストレスの場合です。過剰なストレスがかかると、体に異常をきたし、さまざまな不調・病気を招きます。その不調・病気の1つに高血糖になる糖尿病があります。

過剰なストレスを感じると、脳の視床下部が強く刺激され、自律神経が乱れてしまいます。自律神経には、体を活動的にする交感神経と体を安静にする副交感神経の2種あり、それらの切り替えがうまくできなくなってしまうのです。

自律神経のバランスはなぜ乱れてしまうのか?

具体的にいうと、自律神経の交感神経が優位になつている時間が増え、その結果、怒りの状態を示すホルモンのノルアドレナリンが分泌され、また腎臓の上にある副腎皮質という場所からノルアドレナリンとそれと似た働きがあるアドレナリンが分泌されます。これらの2種のホルモンは、血糖値を上げる作用があります。

その一方で、交感神経が優位であると血糖値を調整するホルモンであるインスリンの分泌量が著しく減って、血糖値が下がりにくい状態が続きます。

また、過剰なストレスを感じると、自律神経の働きとは関係なく、副腎皮質からコルチゾールというホルモンが分泌されるようになります。

コルチゾールとは、別名、ストレスホルモン。ストレスを強く感じると、このコルチゾールが過剰に増え、血糖値が上昇します。ストレスの過剰な状態が続くと、血糖値が上がって高血糖・糖尿病を招きやすくなってしまうのです。

強制的に治療すると死亡率が高まる

ところで、ストレスが多いほど糖尿病になりやすいということを証明する研究も数多くあります。

例えば、厚労省の研究班が2009年に発表した大規模調査です。この調査では、約5万5000人の男女を10年間にわたり追跡し、ストレスと糖尿病の発病率を調べました。すると、ストレスが少ないと答えた男性のグループを1とした場合、ストレスが普通のグループは1.9倍、ストレスが多いグループは1.36倍も糖尿病になりやすいことが明らかになりました。

また、女性も同様で、ストレスが少ないと答えたグループを1とした場合、ストレスが普通のグループは1.12倍、ストレスが多いグループは1.22倍も糖尿病になりやすいことがわかりました。

さらに、米国最大の研究機開である国立衛生研究所から、興味深い研究が報告されています。

この研究では、米国とカナダの糖尿病患者さん1万人以上を対象に、ヘモグロビンA1C値を強制的に6% 未満にするグループと、少し甘めの7~7.9% にするグループに分け、死亡率が比較されました。その結果、ヘモグロビンA1C6% 未満にするほうが、死亡率が高かつたのです。つまり、ヘモグロビンA1C値を強制的に下げることが多大なストレスになり、糖尿病の悪化を促したといえることが証明されました。

つくり笑いでも効果がある

以上のことから、高血糖・糖尿病を撃退するには、過剰なストレスをうまく解消する必要がありますが、いつたい、どのような方法を試せばいいのでしょうか?ストレスを解消する方法として、最も簡単なのは、「笑うこと」です。

笑いというのは、おもしろい、楽しい、うれしいという感情に対する反応の現れですが、笑いが起こるときは、先に述べたノルアドレナリンやコルチゾールといったホルモンは消えるし、副交感神経が優位になるため、血糖値を下げるインスリンが分泌されやすくなります。つまり、笑うだけでストレスが解消でき、しかも血糖値が下がってくる、というわけです。

とはいえ、心の底から笑えないという人も中にはいます。その場合、「作り笑い」をすればいいでしょう。実は、笑いについての研究は全世界でいろいろと進んでいますが、作り笑いをするだけで、心の底から笑うのと同様の効果が得られることがわかっています。にっこおりするだけでも効果があるということです。

笑いと一緒にたまねぎの皮の成分を使ったお茶などを飲むようにするとさらに血糖値を下げることができます。玉ネギの皮を煎じて作る皮茶です。玉ネギの皮は調理には適していませんが、ケルセチンは熱に強く、煎じることでしっかり抽出できる特性があるため、お茶にして飲むことで手軽に、しかもたっぷり摂ることができ、血糖値を下げてくれます。
タマネギの皮のポリフェノール・ケルセチンがたっぷり「さらさらたまねぎ茶」の使用感

子どもの虐待が問題になる理由

最近、「子ども虐待」という言葉がクローズアップされている。日本のような家族主義の強いところでは少ないのではないかともいわれていましたが、家庭の「子育て機能」が低下している現在は、急速に増えていると考えられます。

日本には、古くから体罰を容認する風潮があったので、子どもへの暴力、つまり虐待はまれではなかったと思われますが、現在のように家庭がバラバラにこわれてしまうまでは、たとえば父親による暴力を母親や他の家族が癒すということもあって、そのような体罰の体験も、家庭生活の一部の体験にすぎなかったのでしょう。

そういう体罰経験者のなかに、子どもへの体罰を肯定する人が多いのは、自らがうけた心理的なキズがそれほど大きくないからではないでしょうか?

ところが、現在問題になっている「子ども虐待」は、狭いアパートなどの1室、つまり逃げ場のない密室的な環境のなかで行われており、その意味では子どもの心に与える影響は非常に大きいのです。

「子ども虐待」の類型化

「子ども虐待」は、いくつかに類型化されています、全国の児童相談所に通知した新たな見解です。これらの類型が別々に存在することはまれなのです。

基本的に家庭のなかで愛をつくる努力のないところで、身体的虐待があったりするのである。基本的な問題は、その形はどうであれ、虐待をうけた子どもは、人格形成の最初期の段階にあって、その心理的な傷がきわめて大きいことです。

子どもは、大きくなって、「小さいときに、ぶたれた」とか「こわい思いをした」とかの断片的な記憶しか残らないにしても、このときの、おびえて、大人の顔色をうかがうとか、親を激怒させてしまうようなことばかりしてしまう自信のなさとか、他の人の感情を素直に受け入れられないとか、人間関係のあり方は(あとでたっぷりと愛されるという癒しがなければ) しっかりと性格の核として根づいていくのです。

子どもへの虐待に象徴される家庭内の虐待は複雑です。一応、類型化はできても、ただ子どもに対する対応だけでは済まされません。
もちろん、虐待された子どもが、大人になったときの結果を考えると、現在の世の中にある子ども虐待から子どもを救う対策も緊急を要することでです。
と同時に、すでに親になってしまって、自ら不幸の悪循環のなかから抜け出せない若い親たちに対するサポートも重要です。彼ら、彼女らは共通して子ども時代に十分に愛される体験をしていないのです。

だから、愛し方も愛され方も下手なのです。自分を好きでなく、自立がむずかしく、何かに依存したがります。彼らが、あたたかく保護され、自立する喜びを発見できるような職場とか人間関係の支えが必要なのである。そして、根本的には、家庭の子育て機能の復権ともいうべき取り組みが必要なのです。

まず、労働時間の短縮、深夜労働や深夜営業の制限、家庭でゆっくりすごす文化運動、子どもの全面的発達を保障する自然のなかの遊びや労働の保障などが、総合的に取り組まれる必要です。そして、子ども時代に愛されなかったなどという子どもが1人でも少なくなるように、社会全体が取り組まねばならいのです。

日本の家庭の危機

日本人の家庭の危機が深刻でケースによっては崩壊しているといわれるようになって、かなりの時間が経過してしまいました。その大きな原因は、日本の勤労者の多くが長時間・過密労働にかりだされ、家庭に不在の時間が長くなっていることです。

しかも、家庭にテレビや各種の電気機器が入って家族がいっしょに行動することがほとんどなくなってしまったことも影響しています。

家庭というものは、それを推持し、その文化をつくつていくためには、家庭を構成する家族の相応の努力が必要です。いっしょに食事をする、いっしょに休日を過ごす、他の家族を気づかって行動を規制するなどの努力が必要です。「努力が必要である」といっても、それは、会社や社会団体などで、気をつかう努力とはまったく違うものになります。

家庭は子育てを中心とした肉親の自然的な関係です。ここでいう努力は、親が子どもに、子育ての仕方、家庭のつくり方を体験的に継承するための努力です。
他の社会的関係のような打算やかけひきなどはまったくない関係のなかでの必然的努力です。

子どもを生むということは、子どもを育てるということを意味します。人間の場合は、遺伝子によって子育ての方法が決められているのではなく、家庭という継続的な人間関係を通して学習して、いつの間にか、あたかも遺伝されたかのように正しく子どもを抱いたり、食事を与えたりする行動様式を身につけるのです。

子どもが生まれると、親はだれしも子どもをかわいく思い、抱きあげ、ほおづけをして、同じような声かけをします。それは、動物としての本性に根づいていることも確かですが、人間の親としての行動の多くの部分は自分の子ども時代に家庭のなかで、いわば「刷り込まれ」たものの集合体です。

近年多くの「子どもが好きになれない」と訴える若い母親と会うのだが、彼女たちの生い立ちに共通しているのが、彼女たち自身「しっかりと愛された体験」が十分ではなかったことです。
「しっかりと愛される」というのは、小さいときにぜいたくな生活をしたとか、何回家族旅行に連れていったとかの思い出によってはかられるものではありません。

愛しあう家族がいっしょにたっぷりと同じ時間を過ごすあたたかい家庭生活という体験が必要なのです。それは、どの程度愛されればいいのかとか、どの程度の時間があればいいのかと、数量化したりできるものでもありません。

長い期間にわたって胎盤の中にいるようにしっかりと守られ、かつ社会的といわれるほどにやさしく対応されるということです。思い出として残る出来事よりも、感情のレベルで残る家庭の雰囲気のようなものです。このような体験記憶が子どもに対して「愛らしいと思う」「かわいくなってしまう」という親の心になるのです。

若い男性の中にも、自分の子どもに全く興味を示せない人がいます。そうかと思うと、本当に上手に子どもをかわいがる人もいます。
よく聞いてみると、子ども時代の家庭の雰囲気や生活条件がまるで違うのです。その育児力を育てる家庭が、現代的な消費文明のなかで維持するのがむずかしく、したがって子どもが勝手に大きくなっているのです。

将来の生きる力(自分の子どもを育てる「育児力」もそのなかに入るだろう) を育てる基本的な基盤から放りだされているのです。親子の会話がきわめて貧しいものとなり、生活リズムが軽視され、家庭の約束事がなくなり、テレビや習い事によって、子どもは育つように錯覚されています。

子どもの生理的快感、情緒的安定、納得や達成感の快い興奮などが、家族のなかで共有されることの発達上の役割なども看過されています。その結果、身体は大人になったけれども、大人として子どもを育てるにはあまりに幼い若者が、「子どもを愛せない」という悲しい訴えをするに至ったのです。

家庭について

家庭という概念でくくれる親子を中心とした親族の集団づくりは、人類だけです。ほ乳動物の間には類似の形式を見つけることができるかもしれない(たとえば兄弟がいっしょに行動するとか) のですが、人間のように、親が死んでも、その家庭文化を継承するなどという精神的な継続性をもった肉親の単位というのは、人類にしかないといってよいでしょう。

では、いつ家庭というものが発生したのでしょうか。
多分、人間の子どもに生まれて間もなく(猿のように) 親の身体にしがみついたり、乳首を自分から探し出して吸いつくというような生得的(生まれつきの)な反射がなくなってしまったころ、人間の子どもは、まったく完全に親の意図的な保護を必要とするようになったわけですが、そのときに、今の子育ての原形が生まれたのでしょう。

きっと、生まれた子どもを、私の子だよといって抱きかかえ、暖かい包衣(けだものの皮だったかもしれない) でくるみ、自分の乳首を子どもの口元にもっていってやらねばならなかったのだと思います。
そのころは、彼らは、草原をウロウロと歩きまわるのではなく、子どもを少なくとも1年は育てるぐらいの定住地をもっていたにちがいありません。

このように、家庭は、人間特有の子育てのあり方と密接な関係のなかで発生したのです。人間の赤ん坊は、誕生したときは、まったく生きるための能力をもっていません。

自ら保温する。0歳時代は、外界の空気を吸い、個性的な親に抱かれるという点では、母体内の胎盤とは違うけれども、基本的には、胎盤の延長です。
その意味では、社会的胎盤ともいってよいかもしれません。胎盤とはいえ、母体内のそれとは違い、自分のアクションを通じて、親とのほほえみ反応や人見知り、はいはいからひとり立ちまで、その脳神経回路の発達はめざましいものがあります。

まさに母体内では、同じ月日をかけても獲得できるものではないでしょう。同時に、この1年間、大人の対応と保護がいつも適切でなければならないということも忘れてはいけません。このような0歳時代の発達を完全に保障し、さらに、乳児期の子育てを完全に行う場として、人間には、家庭が必要なのです。

家族、親族など血縁のつながりを確認するだけでなく、人間の子どもをしっかり大人まで育てるところとして、家庭というものが必要だったのです。その意味から、現代の「家庭崩壊」といわれるような現象は、人間の将来にとってきわめて危機的な問題です。

未来の大人を決定するのは子供時代

子ども時代は、大人になるための大切な準備期間です。大人になってはじめて、自分の人生に責任をもつのですが、自分に責任をもてるようにしっかりと生きる力を身につけて大人になれるかどうかは、その子の責任ではなく、その子を育てている大人の責任です。

今、労働運動のなかでも、子育ての問題が重視されねばならないと考えています。労働者が自分のために労働条件や生活条件をよくする運動をすることは、まず大切ですが、今は、それだけにとどまらず、自分たちの後継者を健康に育てるという課題も重視しなければなりません。

たとえば、親の働く権利を守るためといって、子どもが健康に発達するための生活リズムを無視した生活が行われています。子どもの生活リズムを無視することが、どんなに子どもの将来に悪影響を与えるか、労働者自身が気づいていないというのが現状です。

労働者が労働組合などを通じて、自らの後継者をいかに健康に育てるかを勉強しなければなりません。そして、子どもたちの健康の発達のための、健康な生活条件をつくりだすためにたたかわなければならないのです。これからの労働者の運動は、子育てをも内に含んだ総合的な生活改善(物暦只的な豊富さではない) の運動でなければならないと思います。労働運動のなかで、子育てをどう位置づけるか、そのポイントとすべき課題です。

夜は、いつも決まった時間に寝る

大人が夜になると眠くなるのは、すべての基本である子ども時代に、決まった時間に床に就き、眠ったことによる条件反射の結果です。
子どもの就床時間は、小学毒生で午後8時、中学毒生で午後10時です。夜の家庭は静かで、おだやかな安心感に満ちた環境でなければなりません。忙しい仕事の人は、夕食などは合理化して、子どもと気持ちよく接する精神状態をつくるよう努力しなければなりません。

子どもを安心感でつつむこと

子どもは、大人がゆったりと見守るなかで心から安心感を感じているとき、伸びのびと行動して(生きる力を身につけるのです。不安・緊張・恐怖のなかでは、子どもは決して健全に成長できません。
大人は、子どもにいつも安心感を与えられるように自らの生活条件をよくしていかなければなりません。大人自身、よく眠り、気持ちのいい人間関係をつくるように自らも努力しなければいけませんし、そういうことが可能な生活条件を獲得するよう運動しなければなりません。

子どもには自由な時間をたっぷりと

安心感の保障されているところで、子どもは自由でなければなりません。口うるさく自由をうばわれるのも、規制ずくめで行動を規制するのも、子どもの( 生きる力)の発達阻害因子鵬である。

子どもの遊びは、広い広場で自由でなければなりません。ゲームセンターやテーマパークは、思い出はつくるが、脳を発達させるものではないのです。

モノや金は最小限に

子どもは自らの成長する実感を感じるとき、なんのごほうびもいらないのです。自らの成長感に共感してくれる大人がいればいいのです。

むしろ、子どもにモノをふんだんに買い与えたり、多額のお小遣いをあげたり、子どもの意欲をひき出すためといってごほうびをやったりする習慣はよくありません。子どもにお金をかける必要はありません。大切なのは、モノや金よりも安心感と自由とそして眠りです。

子どもの将来の問題に関心をもつ

子どもが将来生きる地球、日本の環境、子どもの食生活、生活リズム、物質的刺激の多さなど、子どもの生きる環境は、かつての子ども時代のように牧歌的ではありません。私たちは、自分の子どもの学校の成績や就職などに神経質になるのではなく、子どもたち全体の健康な発達を保障する条件について関心をもち、子どもの未来をよくする運動に参加していかなければなりません。

現代の子供たちの大変な現状

乳幼児の慢性的な寝不足

現在の乳幼児の就床時間は、異常に遅くなっています。21以降に就床する乳幼児は4割をこえています。しかも、就床時間が毎晩一定していないため、少子どもは、夜「眠くなる」という本能的欲求を学習できません。

私たち大人の「夜、眠くなる」という欲求は生来的なものと誤解されているが、これは、子ども時代に、毎晩同じ時間に電灯が消され、まわりが静かになって、目を閉じて、お母さんの子守唄をきいているうちに気持ちよく眠ってしまうという繰りかえしの体験を通じて条件反射的に学習したものです。

ところが、今、子どもの就寝時間を定めるという家庭のリズムが忘れられています。大人の都合で家庭生活が夜型になり、子どもも明るい夜の生活のなかで覚醒刺激を受けつづけているのです。

彼らは「眠くならない」。疲れきって、いつのまにか寝込んでしまうとしても、それは、身体のリズムとして.定着しない。こういう子は、夜は遅くまで起きていることができるのです。
怒られて布団に入ったりすることはあっても、自然には眠れません。そして必然的に、朝、自然覚醒できません。もし、自然覚醒を待ったら、午前10時とか正午になってしまいます。

驚くべきことは、保育園や幼稚園に行っていない子の母親も、同じように、午前10時頃まで寝ているという家もあるほどです。また、子どもが朝寝してくれた方が、家事がはかどって助かると、喜んでいる母親さえいるほどです。

いずれにせよ、乳幼児期の、このような夜型の生活習慣は、子どもの日中の体調に影響を与えてしまいます。そして、小学校に入学して、朝決まった時間に登校しなければならなくなって、その体調のひずみは顕在化します

つまり、朝、しっかりと覚醒しないまま登校する。頭はボーッとしていて、注意力は散漫になります。身体もけだるい。まわりの子どもたちのすばやい動きについていけません。

ささいなことでムカッと怒り、乱暴をしたりする行動が目立ちます。教師のいっせいに呼びかけるやり方についていけません。高校1年生で、その子の目をみて、きちんと話しても、よく理解できないくらいですから当然です。

近年、小学校低学年の「荒れ」が問題になっていますが、この乳幼児期からの慢性的寝不足と生活リズムの未確立に、根本的な原因があると考えられます。

ひとつの例ですが、小学1年生のO君。鬼ごっこをしていて、自分が鬼になりそうになったら、急にルールを変えます。みんなが「おかしいよ」というと、怒りだして「死んでやる」といって、で教室にもどってしまいます。みんなが教室に入ってくると、ベランダから柵を乗りこえて外に出てしまいます。先生が二人がかりで、なかに引き入れたそうです。

授業がはじまっても、ゴロゴロ転がっている。注意をすると、ノートや教科書をどリビリと破ってしまいます。答え合わせをしていて間違えていたら、鉛筆をボキボキに折ってしまいます。

朝、クラスに入るなり、ある男子の顔をなぐってしまいます。わけを聞くと「朝、お母さんになぐられた。どうしてなぐられたのかわからない。イライラして、教室で殴った」とと話すのです。

こういう暴力は多いのです。この子の母親は、「私も八つ当たりでなぐることがある。この子には手を焼いている。おだてていい気分にさせておくと、よくやってくれる」というのです。

この子の生活は、安定していないのです。まず母親が、生活リズムを意識していません。さらに子どもに接する接し方も気分的です。

おだてたり、母親自身気に入らないと暴力をふるったりしているのです。O君の母親のように子育てについての最低の思想を身につけていない母親が多くなっているからでしょう。
自分の赤ん坊ができるまで、赤ん坊に触れたこともなかったという母親も多い時代です。今、あらためて親 になるための体験教育が必要なのだと思います。

そのなかで、人間も動物であり、同時に子育て期間の特別に長い動物であることや、子育てを自分の人生の喜びだと思える感性と知性などを、十分にと教えなければならないのです。そして、睡眠、摂食、性などの本能といわれるものも、長い子ども時代に、人間的に学習していくものであることも、理論的に理解させることが大切なのです。

評価ばかりが気になって自分に確信がもてない

子どもは、自分のさまざまな体験を通じて自分の可能性を身につけ、自分で行動することの喜びを見つけ、自分意識というものを確立すします。
そして、他人の評価ではなく、自分で、「この自分でいいのだ」と納得します。自己を欠点も含めて、肯定します。このような過程を経て、つまりアイデンティティというものを確立し、大人として生きていけるのです。

ところが、今、他人の評価ばかりを気にして、自分を肯定的に評価することのできない若者が増えています。そのなかには、「自分はみにくい」とか「自分はオナラをして、人にみられている」など、対人接触の障害になる病的な場合もあるが、このような病的な症状はなくても、社会参加へのステップをうまく踏みだせないで、悩む人が多いのです。

Mさんは、ある有名私立高校の3年生。しかし、本人には、第一心望校ではありませんでした。。第一志望校は、インフルエンザのために受験できなかっただけであって、失敗したわけではありません。

一年生、二年生のときには、成績は学年でトップでした。三年にすすみ、大学受験のことを考えるようになって、「私は、何のために勉強してきたのだろう」と考えるようになりました。「私には、成績しかなかった。あなたはできるといわれて、がんばれば成績はとれたので、がんばった。だけど、何のためだったの?私は、どんな勉強をしたのだろう?私には、わからない」などと考えこむようになり、4月から休みが多くなり、5月になったら、まったく不登校状態になってしまったのです。

昼夜逆転し、夜はテレビをみたり、手紙を書いたりしています。日曜日の夜などは、「明日からは行こう。だけれども、一番になれないし、大学に行ってもわからないし」などと落ち込んでしまうのです。

Mさんは、とてもまじめな性格、友だちとの関係も大事にしており、中学時代の友だちには、何でも打ち明けていまする。完全主義的なところがあり、他人からの評価を気にしてがんばってしまうタイプでした。

Mさんのように、他人からの高い評価を目標にする傾向が身についてしまうと、他人から低く評価されることをおそれて、自分の思考視野を狭くしてしまうわけです。

もっと迷ったり悩んだりして、自分で自分の生き方を選んでよかったのに、そのようなことを思いつかず、他人の評価というレールの上を走ってしまうのです。
現在の学校の偏差値による競争原理の下で、頭のいい子ほど、この他人の評価を目標にした競争に巻きこまれやすいのです。結局、Mさんは、カウンセラーのところに通い、気持ちの整理をし、また親も、「自分の人生は、自分で決めさせる」という割りきり方ができて、落ち着いてきました。

そして、6月には、通信制に切りかえ、そのサポート校に通うようにしたのです。まさに、「この道を走るように」強制されていた道をはずれて、少し時間は余計にかかるけれども、自分の足で確かめ、歩きはじめたのです。親は、もう見守ることしかすることはないのです。

生きることが喜びにならない子どもたち

人間の子どもも、他の動物の子どもと同じように、大人と自然の環境のなかで育てられます。けっして動物の子どもは機械によって育てられることはないのです。

ところが、現代は、子どものまわりにテレビ、テレビゲームなどの視聴覚刺激、自動車やエレベーターなどの移動機関、電灯や冷暖房などの人工的生活空間がとり巻いています。これら、大人にとっては楽しい・便利な機械文明は、子どもを育てる機能を本来もっていません。

あらゆる機械は、それを使いこなすことによって自分の労働を軽減したり、自分の力の足りないところを補ったり、さらに自分の欲求を一時満足させるために利用されるものでする。だから、機械は使用する人に大きな利益をもたらすわけです。つまり、努力しないで多くの仕事ができてしまうのです、努力しないで楽しむことができるなどのメリットがあります。

ところが、逆に、今、大人になるために「努力して筋肉をつけねばならない」とか「努力して勉強しなければならない」段階の者にとっては、それらのメリットは逆作用になってしまいます。つまり、努力する必要はないのです。子どもは、大人になるために多くの努力をしなければならない時期なのです。だから、努力してたくさんの喜びを得るような体験をしなければならないのです。

このような体験を与えることのできるのは、機械ではなく、人間の大人と自然なのです。小さいときから、テレビなどの視聴覚刺激を多く与えられて、人間同士の接触の少なかった子は、生きていることの感覚的な喜びを感じることができません。人間同士の接触に敏感になったり、こわがったりします。

また、機械のように便利なもので遊ぶことに慣れてしまった子は、わずらわしいルールや人と人が配慮しあうなどのことを面倒くさく、簡単にイラついてしまうのです。

テレビ局は、いったい誰のために深夜放送をするのでしょうか。少なくとも子どもの発達を保障する文化というものを考えるならば、テレビの深夜放送はやめるべきです。

テレビゲームというものも、子どもの健全な頭脳の発達にはまったく益はないし、ものを考えないためにのみ役立つのです。ちなみに、テレビゲームを操作するときに使われる神経回路は、動物的な反射回路のみであって、人間的な大脳皮質の回路は必要としていないという事実を、大人たちもしっかり自覚するべきでしょう。

結論としていえることは、現在のように機械文明のなかで子ども時代を体験する子どもたちは、周りの大人たちがよほど利口でないと、機械の特質に支配されて、人間としての能力を育てられないまま、大人になってしまうおそれは十分にあるということです。