真似による人の心を読み取る能力

「顔で笑って心で泣いて」この言葉は、人間がすばらしい能力を持っていることを物語っています。顔は笑っているのに、なぜ「心の中ではこの人は泣いている」ということがわかるのでしょうか。意識的に心を隠そうとしても、人は相手の本心を見抜くことができる、隠そうとしても隠せないものを読みとる能力を持っているということを、この言葉は表しているのです。

人は生まれながらに、この能力の基本的な素養を持っています。赤ちゃんは、お母さんの声や視線、さらにはぬくもりといった皮膚感覚を通して、お母さんの心をとても上手に読みますが、それができるのはこの能力を使っているからです。

でもそれは、「読める」といっても、感覚的にわかっているというだけです。わかつたことがきちんと認識できるようになるためには、大脳皮質の言語脳の発達と、この前垂別野の能力をリンクさせていくことが必要です。

幼い子供はそれを、「まね」を通して行っていきます。幼稚園前後の小さな子供は、周りの人のまねをよくします。兄弟のいる子ならお姉ちゃんやお兄ちゃんのまね、いない子はお母さんやお父さん、あるいは幼稚園の先生など身近な人のまねをします。あれは、相手の行動や言葉をまねること、つまり同じ行動や言動をすることによって、その人がどうしてそういう行動をとるのか、なぜそう言ったのか、そのときの「心」を体験し、学んでいるのです。ですから、「まね」というのは、脳の発達においてとても大切な訓練なのです。

子供は人まねを何度も何度も繰り返すことで、前頭前野を発達させていきます。そして、この他人の「まね」をするという行為は、他者の心を理解すると同時に、他者と自分の違いを脳にインプットしていく行為でもあるのです。

というのも、人のまねをすることで、自分はこれができてこれができない、自分はこう思うけど人はこう思う、という自分と他者の違いを認識することになるからです。「自分」が確立されるのと同時に「他者を理解する脳」がつくられます。

子供の脳は、1つの行動を通して、同時にいくつものことを学んでいるのですが、いくつもの能力が同時に育っていくからこそ、人は成長したときに、言葉でコミュニケーションをとりながら、同時に相手の行動を見て、その人の本当の「心」を読みとるといった複雑なことができるようになるのです。最近の若者は、場の空気を読めない人を、「KY (ケーワイ)」と言うそうですが、空気を読めないというのも、その場の人たちの心が読めないということですから、言い換えれば、「前頭前野がうまく働いていない人」ということがいえます。

「KY」などという新しい言葉ができるぐらいですから、そういう人が増えているのでしょうが、その原因の1つは「核家族」という家庭のかたちにあると私は思っています。なぜなら、この、「言葉ではないものから相手の心を読みとる」という能力は、大家族の中で育てば、それだけで自然と身につくものだからです。

近頃は核家族という言葉が使われることはほとんどなくなりました。それだけ親と子供だけの少人数の家庭が、当たり前になってきているということです。でも、それは脳の発達という点からみると、決してよいことではないのです。

特に、脳の発達にとってよくないのは、小さい子供を「テレビに子守させる」こと。お母さんは忙しく、他に子守をしてくれる人もいないので、ついつい家事をする間、子供に「おとなしくテレビ見ててね」とテレビに子守をさせてしまいがちです。その気持ちはよくわかります。でもテレビは、子供がいくら話しかけても笑いかけても、何の反応も示しません。

一方通行でコミュニケーションがまったく成立しないのです。テレビをよく見る子供はテレビに出てくる人のまねをしますが、相手の反応がないので、直接他人のまねをするのと比べると、脳の中で起きていることはどうしても違ってしまいます。

コミュニケーションが成立しないので、相手の反応を見て軌道修正をし、正しい理解に到達するという大切なステップが抜け落ちてしまうのです。ごく簡単に言えば、そこにコミュニケーションがないので、「多分、相手はこう思っているのだろう」という暖味な理解しかできないということです。これでは他者を理解することも、自己を確立することもできません。つまり、前頭前野の発達が充分には行われなくなってしまうのです。子供のとき、子守を「誰が」したかで、脳の発達具合は大きく変わってくるのです。「

前頭前野を失った場合は

前頭前野は、人間にとってとても特別な脳です。なぜなら、人間を一番「人間らしく」する働きをしている脳だからです。

事故で前頭前野だけが傷ついた人の数少ない症例からすると、その人が損傷したのは前頭前野だけで、脳の他の部分は無傷でした。事故に遭われたのは不幸なことですが、この人に事故の前と比べて何かできなくなっていることがあれば、それが前頭前野の働きだということがはっきりします。

発達した前頭前野を持っているのは人間だけなので、その部分がどのような働きをしているのかということは、動物実験では調べることができません。そういう意味で、このケースは、医学的にとても重要な症例なのです。

事故から回復したとき、その人は左すると他の人と何も変わったところがないように見えました。言葉もちゃんと話すことができるし、きちんと歩くこともできます。食事も自分でできるし、排泄もできます。しかし、たった1つだけできなくなったことがありました。それは「社会生活」です。

具体的に言うと、その人は他人と社会的なコミュニケーションがとれなくなってしまっていたのです。私たちは普段、人とコミュニケーションをとるとき「言葉」を使っています。そのため、言葉から相手の思いをくみ取っていると考えがちです。

でも、そうではないことを、この症例は教えてくれています。なぜなら、この人は、言葉をちゃんと話すことも、相手が話している内容も理解できたのに、相手の思いをきちんとくみ取ることができなかったからです。実は私たちは、人とコミュニケーションをとるとき、無意識に相手の仕草や表情、声のトーンなどから、その人の心を読みとっているのです。

この人が社会的なコミュニケーションがとれなくなってしまったのは、その「言葉ではないものから読みとる」ということができなくなってしまっていたからでした。その他にもこの人は、意欲を持ってテキパキと仕事をこなすということもできなくなっていました。つまり、

人間関係の中で自分をコントロールしながら生きていくことができなくなっていたのです。これによって、前頭前野は、人間が社会の=異として生きていくために必要不可欠な働きをしていることが明らかになったのです。
ところで、生きていくことには問題がないのに、社会生活をすることができない。そう聞いて何か思い出しませんか?そうです。「ニート」や「引きこもり」と言われる人たちが、これととてもよく似た状態にあるのです。

彼らは、人との接触を拒む以外は、家の中で普通に生活しています。ご飯も食べるしテレビも見ます。インターネットを通してなら、外部とコミュニケーションもとります。ここでポイントなのが「ネットを通してなら」というところです。

彼らはチャットやメールはしますが、人と会って話すことは嫌がります。電話すらほとんどしません。つまり、人と直接コミュニケーションをとることを嫌うのです。そして、ひとりで部屋にこもって、テレビやパソコンといった、現実場面での交流を必要としないものを好むのです。

でも、人間というのは、本来はひとりでは生きていけない社会的な生き物です。だからこそ、脳を発達させ、言語を操る能力を身につけ、相手の行動や表情から、相手の心の中にある思いを読みとる能力を培ってきたのです。

それなのに、他人と直接のコミュニケーションができない、またはそういうことをしたくないと感じる、あるいは、しようと思ってもうまくできないというのですから、これは人としてかなり危機的な状態です。でも、彼らは前頭前野を失っているわけではないのです。単に前頭前野の働きが弱っているだけなのですから、そのことを自覚して努力すれば、弱ったものは回復させることも強くすることもできるはずなのです。

人生を決定づけている脳の3ヶ所

心はどこにある?心の場所は脳にある

脳の研究が進んだことによって、今では「心の場所」は脳の中にあることがわかっています。これまでは、英語で心を意味する「heart」という語が同時に心臓を意味するように、「心」は心臓の位置にあると考えられていました。

もちろん、これは大きな発想の転換でした。でも、この事実を知っただけで満足している人がほとんどで、私たちは脳の「どの場所」に心があるかまで正確に知っている人はごく少数のように思います。

はっきり申し上げますと、「心は脳の中にある」という曖昧な知識だけでは、知識がないのとほとんど変わりません。もちろんストレスを「消す」ことなんて、とても無理な話です。というのも、ストレスによって心が病んでしまうということも、脳の中にその要因があるからです。

「脳ストレス」という言葉を使うのも、まさに、みなさんに「心の場所」を明確に知ってもらうためです。精神的なストレスヘの対処も、「心の場所」を突き詰めることで初めて明らかになりました。私たち人間は他の多くの動物よりも大きな脳を持っています。

身体の大きさに対する脳の割合でいうと、人間は一番大きな脳を持っているといえます。

チンパンジーと人間も、脳をみればその違いは一目瞭然で、人間の方が遥かに大きな前頭葉を持っています。私たち人間の脳は、その進化とともに少しずつ発達してきたものです。そのため、最も原始的な脳である「脳幹」を中心に、その外側に少しずつ新しい脳が「増築」されたような構造になっています。

脳幹は別名「自立脳」といって、呼吸、循環、消化などの自律神経機能、さらには阻囁や歩行といった基本的な生命活動に必要な、運動を調節する機能が存在しています。その脳幹の上に位置するのが間脳「視床下部」。視床下部の別名は「生存脳」といい、食欲と性欲という生存に不可欠な働きをしています。

視床下部の外側に位置するのが「大脳辺縁系」。ここは、喜びや悲しみ、怒りや恐怖などさまざまな感情が形成される場所なので「感情脳」といいます。私たちにとって身近な動物である犬や猫などのペットが感情豊かな行動を見せるのは、彼らの脳にこの大脳辺縁系があるからです。

人間の脳が、他の動物と大きく違うのは、この大脳辺縁系のさらに外側で、脳の一番外側に位置する「大脳皮質」が発達していることです。人間が豊かな知能を持ち、言葉を使い、社会的な生活を営むことができるのは、大脳皮質が発達しているおかげなのです。

大脳皮質は、その場所によって大きく4つに分類されます。顔のある側を「前頭葉」、両サイドを「側頭葉」、頭頂部付近を「頭頂葉」、背中側を「後頭葉」といいますが、耳にしたこともある人も多いはずです。

さて、ではこうした構造の脳のどこに「心の場所」はあるのでしょう。心の場所は、実は「2ヶ所」 あります。1つが感情脳(大脳辺縁糸)。そしてもう1つが感情脳と強く結びついている「前頭前野」です。前頭葉の中でも、最も前の方に位置する部分を、特に前頭前野といいますが、心の場所の中心は、その前頭前野にあると考えられるのです。

つまり、この前頭前野の働きによって、ストレスを感じたり、逆に解消したりすることができるのです。「人間らしさ」のすべてを形成している脳であり、脳ストレスを生み出してもいる脳なのです。

ストレスを感じているのは脳 | 健康メモ

「こんちくしょう」から「ありがとう」で人生が変わる

「許せない」と思ったら発想を変えてみる

世の中というのは、理不尽なことがときどき起こる方がまともなのではないだろうか。私はつねにそう考えています。そう言ってしまうと、「理不尽なことがあって、どうしてまともな世の中といえようか…」そんな反論が返ってきそうですが、みなさん、ご自分のまわりをよく見渡してみてください。

会社でも、家庭内でもいい。また友人関係や親兄弟の間柄でもけっこうです。あらゆる人間関係において、すべてが平穏無事に何1つ文句なく過ごせているという人が、はたしてどれだけいるでしょう。

どんな関係にあっても、人と人とが交われば、そこには必ず対話が生まれ、その対話はときに摩擦となって人の心を刺激する場合があります。そういう刺激に対していちいち腹を立てて「こんちくしょう! 」と言っていたのでは、心のバランスは乱れるばかりです。

つまり、「理不尽なことがあった方がいい」というのではなく「私たちの生活には、理不尽なことが満ちている」ということを頭に置いて日々を送った方が、ずっと楽に生活できるということなのです。

そもそも私たちが身を置く社会というのは、実にさまざまな人間がいるわけです。そういう中で、いろいろなトラブルに遭遇したとき「とっちめてやろう! 」と思うのか「トラブルなんてつきものだから、まあ、いいか」と思うのとでは、そのあとの心の持ち方が大きく違ってきます。

他人の言動に対して「許せない」と思いやすい人は、怒りの深みにはまっていくのです。そして、そんないらだちの感情を言葉にし続けると、免疫力は低下していきます。根本的なことをいえば、他人の性格など、自分がいくら怒っても変えられるものではないということです。つまり、人の心を変えようとするのではなく「いくら言ってもしかたないな。だから許そう」と、自分の心を変えていく努力が大切なのです。
こういうことが実践できれば、人の心はずいぶん楽になると思います。

度を超すリラックスも病気を招く原因になる

副交感神経が優位な体質は免疫力が高い

私たちの健康は、日中にほどよく働き、ほどよく食べて、夜はぐっすり眠ることで保障されています。病気が作られるのは、この活動と休息のバランスがくずれたときです。

つまり、ストレス過剰の無理な生き方に対し、リラックス過剰の楽な生き方でも自律神経の良好な働きが妨げられ、人問は健康を保つことが難しくなるのです。自律神経から見た、楽すぎる生き方とは、毎日満腹になるまで食べて体を動かさない、不活発な生き方です。

飽食と運動不足は、副交感神経を優位にし、白血球中にリンパ球をふやします。リンパ球は、ウィルスや体内で発生した異常細胞の排除に働く免疫細胞なので、リンパ球がほどほどに多いのは、カゼもめったにひかない、免疫力の高い体調といえます。

ところが、リンパ球も必要以上にふえると、過剰反応を起こします。本来は無害な少しの異物も敵と見なして炎症を起こし、排除しようとするのです。この反応が表面化したのが、いわゆるアレルギー疾患です。また、副交感神経が優位なリラックス時には、アセチルコリンの指令を受けて、プロスタグランジンの分泌が盛んになります。

このホルモンは血管を開き、血流をふやして傷ついた組織の修復を促します。その際、組織は発熱し、知覚神経も過敏になるため、リラックス過剰でプロスタグランジンの活性が高まりすぎると、治癒反応として引き起こされるアレルギー性の炎症も激しさを増し、かゆみや痛みなどの症状が強くなります。

アトピー性皮膚炎にしろ、花粉症にしろ、近年、社会問題になるほどアレルギー疾患患者が急増し、重症化の一途をたどっています。これは、生活の豊かさを背景に、現代人の体質が交感神経の緊張型から副交感神経型へと移行した結果なのです。

例えば、甘いお菓子を食べてストレスが解消できるのは、砂糖が副交感神経を優位にする最強の食べ物だからです。しかし、食べようと思えば毎日でもケーキが食べられるようになったのは、ここ30~40年の話で、まさしくアレルギー疾患の増加が始まった時期と一致します。

ストレスに弱いが病気は治りやすい

さらにその前提には、生活様式の変化に伴う、運動量の低下が存在します。思い起こせば、青森県の私の生家に水道が通ったのは、私が小学校2、3年のときでした。それ以前は井戸水を運んで炊事・洗濯・掃除をし、入浴をしていたわけですから、家事も今とは比べものにならないくらい重労働だったことがわかります。

さらに、その後に訪れた車社会、道路や住宅のバリアフリー化により、現代人の生活は、人問を徹底的に甘やかす世界に突入しました。免疫力の高まりが平均寿命を延ばす一方、現在はリラックスの行きすぎで認知症や足腰の痛みを抱えるお年寄りがふえ、新たに「健康寿命の延長を」と叫ばれる時代を生んだのです。

運動量の低下によって、真っ先に弱るのが筋肉です。筋肉がひ弱だと、ふくよかな肉体を支えきれずに問節に過剰な負担がかかります。さらに、筋肉は静脈血を心臓に押し戻すポンプの役目を果たすため、筋力の低下に伴い血流も悪化して、体内に老廃物がたまりやすくなります。

また、運動不足は骨へのカルシウムの沈着を妨げ、骨租髭症を促進することもわかっています。これらが、中高年者が訴える足腰の痛みの原因です。すなわち、現代人が健康寿命の延長を可能にするには、年を取れば取るほど積極的に体を動かし、筋肉を鍛える努力が必要になってくるわけです。

もう1つ、楽すぎる生き方の究極の弊害として、交感神経の刺激不足によって引き起こされる、ストレス耐性の低下が挙げられます。現代人がリンパ球の豊富な免疫力の高い体質を持ちながら、病気を蔓延させている原因も、要はストレスに対抗する力の弱さにあるのです。

例えば、うつ病が国民病といわれるほど急増したのも、生まれたときからリラックス過剰で育った人間がふえた結果といえます。ガンや膠原病などに苦しむ患者さんの話を問いても、皆さん感受性の豊かさから悩みを抱え、発病に至った様子がうかがえます。

ただし、過酷な生き方による交感神経の緊張体質のストレス病に対し、リラックス過剰による副交感神経が優位な体質のストレス病は、自律神経が活発に揺れ動きやすいのが特徴です。このため、症状は激しくても、病気そのものは軽症である場合が多く、原因を治療すれば治りやすいということも、ぜひ覚えておきましょう。

その原因治療とは、甘いものの摂取を控え、各自の能力に応じた適度な運動習慣を身につけて、リラックス過剰な生き方を是正することにあります。同時にストレスを軽減する工夫も必要ですが、体に生じたストレス状態は、積極的に体を温めることでも緩和させられます。

ストレスにどのくらい耐えることができるかのチェック

疲れ目でめまいが多発!リフレのブルーベリー&ルティンは目と脳の血流をアップ

眼精疲労が悪化すると自律神経が不安定になりめまいも慢性化する

最近、増えている「めまい」の現れ方は人によって千差万別です。めまいが起こるしくみは非常に複雑で、耳や脳だけでなく体のさまざまな部分の異物が関係しています。

人間の体には、頭や体の位置を確かめてバランスを維持するしくみが備わっています。その中心的な役割を担っているのが、耳の鼓膜よりも内側に位置する内耳の「三半規管」です。三半規管は、体の傾きや回転の加速度を感知するセンサーの働きをしており、異常が生じるめまいが起こります。

めまいの大半は、体の平衡感覚をつかさどっている内耳の機能障害によるものと考えられます。
耳の若返り大作戦とその方法で紹介されている方法でめまいが改善する人もいます。

しかし、目や脳、筋肉・関節といった運動器官の異常が、めまいの原因になっている場合も少なくありません。

私たちは日ごろ、外部からのさまざまな情報を取り入れて脳に伝達しています。中でも目で見ることによって得られる情報は、全体の8~9割を占めています。

視覚の情報から得られているといえます。視覚の情報は視神経を通じて脳へ送られ、左右の側頭葉という部分にある頭の位置を認識する部分に伝わります。

ところが、何らかの理由で目が正確な情報を収集できず、左右対称でない部分が生じると、脳が混乱をきたして、めまいにつながる可能性があるのです。

めまいが起きているようであれば、原因の1つとして視覚の異常が考えられます。加齢黄斑変性などによって起こる視力の左右差や眼精疲労(重度の疲れ目)がきっかけとなり、めまいを招くことも決して少なくないのです。

単なる疲れ目だと軽く考えていると、やがて慢性的な眼精疲労に陥り、めまいをはじめ、頭痛や首・肩のこり、倦怠感などが長く続くことで、自律神経の働きにも乱れが生じ、めまいを一段と悪化させます。

眼精疲労の患者さんに
ブルーベリー&ルティンを試すと全員の視力が向上し頭痛も改善した

慢性的なめまいや頭痛を伴うほどの眼精疲労の改善には、目の血流を大幅に増やして、酸素や栄養を十分に行き渡らせることが重要になります。

そこで有効に働くのが、ブルーベリー&ルティンです。ビルベリーの主成分であるアントシアニンは抗酸化カが非常に強く、目の血流を大幅に増やして網膜の動脈硬化を防ぎます。

さらに、目だけでなく脳の血流も改善させることが大切だと考えルティンが入っているブルーベリー&ルティンを飲んでもらいました。私は、眼精疲労に悩む30人の方に、ブルーベリー&ルティンを3ヶ月間試飲してもらう試験を行っています。

30人全員が日ごろから目の疲れや痛みを実感し、そのうち7割もの人がめまい、頭痛、肩こりなど何らかの身体的な不調を自覚していました。

眼精疲労の程度は、瞳孔の大きさを見れば判別できます。20~40歳の健康な人は、瞳孔の大きさが4~6 mm。眼精疲労が悪化すると、瞳孔は縮小します。

協力してくれた30人の瞳孔は、2~3 mmまでに縮小していました。ところが、ブルーベリー&ルティンを飲んで3ヶ月後の検査では、30人全員の瞳孔が4~6 mmに回復。さらに、視力も全員が向上し、目の重苦しさや痛み、眼精疲労に伴うめまいや頭痛といった症状も全員が改善していたのです。

目の負担を軽減してくれる、リフレのブルーベリー&ルティン(シジミブルーベリー&ルティンの使用感、口コミ)

心の雑音を遠ざけるエクササイズ

浮動不安は、たいていの人にとって人生の道づれです。わたしたちは気苦労という心のバックグラウンド雑音をあんまり聴きなれてしまった結果、心に雑音がしていることさえ忘れてしまっています。このイメージ・トレーニングでは、あなたがまずこの雑音の存在を認識し、それから追いはらう…すくなくとも、気苦労がこのつぎにあなたの顔に暗い陰を落とすようになるまでの間の手助けとなるものです。

  1. ゆったりと腰をかけ、目を閉じましょう。静かな森の小道を歩いていると想像しましょう。もうすぐ木立の開けたところに出ます。空き地の真ん中までゆっくり進み、腰をおろします。
  2. どこからともなく集まった動物たちが、あなたをとりまいています。危害を加える気配はないようですが、じつはそれぞれが、あなたの心配ごとが形を変えたものなのです。身体が大きい順に心配の度合いも大きくなります。たとえば俊足のガゼルは仕事の締切り、ライオンは人間関係のトラブルです。
  3. 空き地の一方の側にハチの巣があります。ハチの一群がこちらへ飛んできてブンブンと羽音をたてます。これがあなたの浮動不安です。
  4. 動物たちの一頭を、そっとなでてやってください。あなたの手がふれるにつれて動物たちはおとなしくなり、森の奥へと姿を消していきます。あとにのこったのはハチたちの羽音だけ。
  5. ハチの形をしたちっぽけな気苦労が、1匹ずつ巣にかえっていくのを想像してください。空き地に静寂がもどりました。気苦労の種は巣に羽を休めています。明日のことは明日心配すればよし。平和があたりに満ちています。

ストレスとうつの関係性についてゃこちら。

糖尿病の意外な原因は過剰なストレスで自律神経が不安定になり血糖値が急上昇

過剰なストレスでインスリンの放出量が激減してしまう

仕事をしている現役時代は健康そのものでも「退職後、糖尿病になってしまった」「親の介護をしはじめたと思ったら子供の自分が糖尿病になってしまった」。このように、ちょっとした生活環境の変化で、糖尿病を発症する人が少なくありません。というのも、糖尿病はストレスとの関連性が非常に深いのです。

通常、ストレスが加わると、自律神経やある種のホルモンの機能を統合する中枢である脳の視床下部がまず感知します。

すると、内臓の働きが活発になったりやる気をもたらすホルモンが分泌されたり、ひいては免疫力が強まったりします。

ただし、これは過剰なストレスの場合です。過剰なストレスがかかると、体に異常をきたし、さまざまな不調・病気を招きます。その不調・病気の1つに高血糖になる糖尿病があります。

過剰なストレスを感じると、脳の視床下部が強く刺激され、自律神経が乱れてしまいます。自律神経には、体を活動的にする交感神経と体を安静にする副交感神経の2種あり、それらの切り替えがうまくできなくなってしまうのです。

自律神経のバランスはなぜ乱れてしまうのか?

具体的にいうと、自律神経の交感神経が優位になつている時間が増え、その結果、怒りの状態を示すホルモンのノルアドレナリンが分泌され、また腎臓の上にある副腎皮質という場所からノルアドレナリンとそれと似た働きがあるアドレナリンが分泌されます。これらの2種のホルモンは、血糖値を上げる作用があります。

その一方で、交感神経が優位であると血糖値を調整するホルモンであるインスリンの分泌量が著しく減って、血糖値が下がりにくい状態が続きます。

また、過剰なストレスを感じると、自律神経の働きとは関係なく、副腎皮質からコルチゾールというホルモンが分泌されるようになります。

コルチゾールとは、別名、ストレスホルモン。ストレスを強く感じると、このコルチゾールが過剰に増え、血糖値が上昇します。ストレスの過剰な状態が続くと、血糖値が上がって高血糖・糖尿病を招きやすくなってしまうのです。

強制的に治療すると死亡率が高まる

ところで、ストレスが多いほど糖尿病になりやすいということを証明する研究も数多くあります。

例えば、厚労省の研究班が2009年に発表した大規模調査です。この調査では、約5万5000人の男女を10年間にわたり追跡し、ストレスと糖尿病の発病率を調べました。すると、ストレスが少ないと答えた男性のグループを1とした場合、ストレスが普通のグループは1.9倍、ストレスが多いグループは1.36倍も糖尿病になりやすいことが明らかになりました。

また、女性も同様で、ストレスが少ないと答えたグループを1とした場合、ストレスが普通のグループは1.12倍、ストレスが多いグループは1.22倍も糖尿病になりやすいことがわかりました。

さらに、米国最大の研究機開である国立衛生研究所から、興味深い研究が報告されています。

この研究では、米国とカナダの糖尿病患者さん1万人以上を対象に、ヘモグロビンA1C値を強制的に6% 未満にするグループと、少し甘めの7~7.9% にするグループに分け、死亡率が比較されました。その結果、ヘモグロビンA1C6% 未満にするほうが、死亡率が高かつたのです。つまり、ヘモグロビンA1C値を強制的に下げることが多大なストレスになり、糖尿病の悪化を促したといえることが証明されました。

つくり笑いでも効果がある

以上のことから、高血糖・糖尿病を撃退するには、過剰なストレスをうまく解消する必要がありますが、いつたい、どのような方法を試せばいいのでしょうか?ストレスを解消する方法として、最も簡単なのは、「笑うこと」です。

笑いというのは、おもしろい、楽しい、うれしいという感情に対する反応の現れですが、笑いが起こるときは、先に述べたノルアドレナリンやコルチゾールといったホルモンは消えるし、副交感神経が優位になるため、血糖値を下げるインスリンが分泌されやすくなります。つまり、笑うだけでストレスが解消でき、しかも血糖値が下がってくる、というわけです。

とはいえ、心の底から笑えないという人も中にはいます。その場合、「作り笑い」をすればいいでしょう。実は、笑いについての研究は全世界でいろいろと進んでいますが、作り笑いをするだけで、心の底から笑うのと同様の効果が得られることがわかっています。にっこおりするだけでも効果があるということです。

笑いと一緒にたまねぎの皮の成分を使ったお茶などを飲むようにするとさらに血糖値を下げることができます。玉ネギの皮を煎じて作る皮茶です。玉ネギの皮は調理には適していませんが、ケルセチンは熱に強く、煎じることでしっかり抽出できる特性があるため、お茶にして飲むことで手軽に、しかもたっぷり摂ることができ、血糖値を下げてくれます。
タマネギの皮のポリフェノール・ケルセチンがたっぷり「さらさらたまねぎ茶」の使用感

子どもの虐待が問題になる理由

最近、「子ども虐待」という言葉がクローズアップされている。日本のような家族主義の強いところでは少ないのではないかともいわれていましたが、家庭の「子育て機能」が低下している現在は、急速に増えていると考えられます。

日本には、古くから体罰を容認する風潮があったので、子どもへの暴力、つまり虐待はまれではなかったと思われますが、現在のように家庭がバラバラにこわれてしまうまでは、たとえば父親による暴力を母親や他の家族が癒すということもあって、そのような体罰の体験も、家庭生活の一部の体験にすぎなかったのでしょう。

そういう体罰経験者のなかに、子どもへの体罰を肯定する人が多いのは、自らがうけた心理的なキズがそれほど大きくないからではないでしょうか?

ところが、現在問題になっている「子ども虐待」は、狭いアパートなどの1室、つまり逃げ場のない密室的な環境のなかで行われており、その意味では子どもの心に与える影響は非常に大きいのです。

「子ども虐待」の類型化

「子ども虐待」は、いくつかに類型化されています、全国の児童相談所に通知した新たな見解です。これらの類型が別々に存在することはまれなのです。

基本的に家庭のなかで愛をつくる努力のないところで、身体的虐待があったりするのである。基本的な問題は、その形はどうであれ、虐待をうけた子どもは、人格形成の最初期の段階にあって、その心理的な傷がきわめて大きいことです。

子どもは、大きくなって、「小さいときに、ぶたれた」とか「こわい思いをした」とかの断片的な記憶しか残らないにしても、このときの、おびえて、大人の顔色をうかがうとか、親を激怒させてしまうようなことばかりしてしまう自信のなさとか、他の人の感情を素直に受け入れられないとか、人間関係のあり方は(あとでたっぷりと愛されるという癒しがなければ) しっかりと性格の核として根づいていくのです。

子どもへの虐待に象徴される家庭内の虐待は複雑です。一応、類型化はできても、ただ子どもに対する対応だけでは済まされません。
もちろん、虐待された子どもが、大人になったときの結果を考えると、現在の世の中にある子ども虐待から子どもを救う対策も緊急を要することでです。
と同時に、すでに親になってしまって、自ら不幸の悪循環のなかから抜け出せない若い親たちに対するサポートも重要です。彼ら、彼女らは共通して子ども時代に十分に愛される体験をしていないのです。

だから、愛し方も愛され方も下手なのです。自分を好きでなく、自立がむずかしく、何かに依存したがります。彼らが、あたたかく保護され、自立する喜びを発見できるような職場とか人間関係の支えが必要なのである。そして、根本的には、家庭の子育て機能の復権ともいうべき取り組みが必要なのです。

まず、労働時間の短縮、深夜労働や深夜営業の制限、家庭でゆっくりすごす文化運動、子どもの全面的発達を保障する自然のなかの遊びや労働の保障などが、総合的に取り組まれる必要です。そして、子ども時代に愛されなかったなどという子どもが1人でも少なくなるように、社会全体が取り組まねばならいのです。

日本の家庭の危機

日本人の家庭の危機が深刻でケースによっては崩壊しているといわれるようになって、かなりの時間が経過してしまいました。その大きな原因は、日本の勤労者の多くが長時間・過密労働にかりだされ、家庭に不在の時間が長くなっていることです。

しかも、家庭にテレビや各種の電気機器が入って家族がいっしょに行動することがほとんどなくなってしまったことも影響しています。

家庭というものは、それを推持し、その文化をつくつていくためには、家庭を構成する家族の相応の努力が必要です。いっしょに食事をする、いっしょに休日を過ごす、他の家族を気づかって行動を規制するなどの努力が必要です。「努力が必要である」といっても、それは、会社や社会団体などで、気をつかう努力とはまったく違うものになります。

家庭は子育てを中心とした肉親の自然的な関係です。ここでいう努力は、親が子どもに、子育ての仕方、家庭のつくり方を体験的に継承するための努力です。
他の社会的関係のような打算やかけひきなどはまったくない関係のなかでの必然的努力です。

子どもを生むということは、子どもを育てるということを意味します。人間の場合は、遺伝子によって子育ての方法が決められているのではなく、家庭という継続的な人間関係を通して学習して、いつの間にか、あたかも遺伝されたかのように正しく子どもを抱いたり、食事を与えたりする行動様式を身につけるのです。

子どもが生まれると、親はだれしも子どもをかわいく思い、抱きあげ、ほおづけをして、同じような声かけをします。それは、動物としての本性に根づいていることも確かですが、人間の親としての行動の多くの部分は自分の子ども時代に家庭のなかで、いわば「刷り込まれ」たものの集合体です。

近年多くの「子どもが好きになれない」と訴える若い母親と会うのだが、彼女たちの生い立ちに共通しているのが、彼女たち自身「しっかりと愛された体験」が十分ではなかったことです。
「しっかりと愛される」というのは、小さいときにぜいたくな生活をしたとか、何回家族旅行に連れていったとかの思い出によってはかられるものではありません。

愛しあう家族がいっしょにたっぷりと同じ時間を過ごすあたたかい家庭生活という体験が必要なのです。それは、どの程度愛されればいいのかとか、どの程度の時間があればいいのかと、数量化したりできるものでもありません。

長い期間にわたって胎盤の中にいるようにしっかりと守られ、かつ社会的といわれるほどにやさしく対応されるということです。思い出として残る出来事よりも、感情のレベルで残る家庭の雰囲気のようなものです。このような体験記憶が子どもに対して「愛らしいと思う」「かわいくなってしまう」という親の心になるのです。

若い男性の中にも、自分の子どもに全く興味を示せない人がいます。そうかと思うと、本当に上手に子どもをかわいがる人もいます。
よく聞いてみると、子ども時代の家庭の雰囲気や生活条件がまるで違うのです。その育児力を育てる家庭が、現代的な消費文明のなかで維持するのがむずかしく、したがって子どもが勝手に大きくなっているのです。

将来の生きる力(自分の子どもを育てる「育児力」もそのなかに入るだろう) を育てる基本的な基盤から放りだされているのです。親子の会話がきわめて貧しいものとなり、生活リズムが軽視され、家庭の約束事がなくなり、テレビや習い事によって、子どもは育つように錯覚されています。

子どもの生理的快感、情緒的安定、納得や達成感の快い興奮などが、家族のなかで共有されることの発達上の役割なども看過されています。その結果、身体は大人になったけれども、大人として子どもを育てるにはあまりに幼い若者が、「子どもを愛せない」という悲しい訴えをするに至ったのです。