現代のストレス「時間」

現在は、ストレスは? というと「人間関係」と答える人が多くいらっしゃいます。または「仕事」とか「子どもの教育」とかいう人も少なくない。
これらの「人間関係」「仕事」「子どもの教育」などは、人間の歴史のなかでいつも苦労でありストレスなのです。いまに始まったことでないストレスが、現在、私たちに「ストレス!!」とのしかかってくるように思うのは、昔とちがう、それこそ現代のストレスの親玉ともいうべきストレスが、別に存在するからです。

時間

時間は、昔はまったくストレスではなかったのだろうと思います。なぜなら人間は自然の時間の流れのなかで無理なく生活していたからです。

日が暮れれば眠り、目が昇れば働いた時代には、日が暮れるのに逆らって「今日中にやってしまわねばならない」と考えるのではなく、「日が沈んだら明日にしよう」と考えました。
しかし、富の蓄積による差別がおこる時代になると、夜なべ仕事で生産を強制されることも起こつてきた。つまり、何時までにどれだけ生産せよという、時間で区切った労働の強制です。そこでは、迫りくる締切り時間は、働く人にとってすごいストレスになってきたのでしょう。

しかし、それでも基本的には自然の時間が支配した時代は、牧歌的でした。人間関係もゆったりしたものでした。仕事も、苦役ではありましたが、たっぷりと休憩時間と睡眠時間で補われました。

子どもの教育などももっと余裕がありました。

しかし、産業革命後変化が起こりました。機械は24時間動かすことができる。灯は、24時間照らすことができる。商品をつくり広い地域に売りさばくために、まず出荷の日時をより早くするように競争するようになりました。

労働者は、工場のなかにいるかぎり、自然時間の流れに関係なく、機械の能力にあわせて労働することが強制された。このときから、「時間」は、人間の自然の生理と関係なく、産業のスケジュールに従ってすすむようになってしまいました。

産業革命当時、ヨーロッパでは、多くの労働者や子どもが病気となり死亡しました。日本における産業革命においても「女工哀史」に象徴されるような、多くの労働者の犠牲がありました。

当時の公衆衛生のレベルから、疾病の多くは、感染症や栄養失調でした。これらは、その後大きく改善した。それは、労働環境や生活環境の改善によるところも多大ですが、一方では労働時間の制限や子どもの就労禁止など、労働条件の改善も大きな役割がありました。つまり、就業時間を明確にして、私生活における休養の時間を十分に保障するということが、健康推持のために欠かすことのできないことなのです。

この意味で、労働基準法の8時間労働制などの原則は、労働者のストレス解消の基本的条件として重要なのです。しかし、産業革命後の産業の労働者管理は、あくまでも生産性をあげるための時間管理に主点が置かれています。単位時間内のノルマをアップすること、カンパン方式などにみる物品の流れを優先したスケジュールを組むとか、人間はまさに生産工程に付属する歯車のように使われます。

ここでは、労働者の私生活や家庭はまったく考慮されていません。現代日本で、自然時間から遊離した、生産性優先の時間管理による「時計時間」が、今、人間にとっての最大のストレスとして、私たちを襲っているのではないかと考えられます。

この「時計時間」が、人間の生活を支配することについては、もう逆もどりはできないでしょう。もっとゆっくりとした時間のスケジュールで生活を動かしていくことはむずかしいことかもしれません。しかし、就労時間をきっちりと切り、休養・睡眠の時間をきっちり保障することによって、この「時間」のストレスを軽減することはできるはずです。
そのようにして、資本家が支配する「時間」が、労働者の24時間を支配することが防げれば、子どもとの会話も家庭の団欒も回復し、多くの人々が嘆く、さまざまなストレスもいちじるしく軽減するにちがいないと考えられます。

過労

さて、この現代の「時間」のストレスは、労働医学の分野では、「長時間・超過密労働による健康破壊」というテーマで論じられているわけです。

「過労死」も「時間」のストレスの結果としての過労によっておこるものと考えてよいでしょう。ところが精神医学ないしは精神保健の分野でも、現代のストレス論は盛んなのですが、この「時間」のストレスはまったくといっていいほど、研究の対象になっていません。

精神の分野では、「過労」という言葉もほとんど現われることのない言葉であるが、現代の労働者に強制されている長時間・過密労働の問題も、「働きすぎる 型人間」として性格の問題に裏返しされて表現されるだけです。
これには、アメリカ心理学の影響が大きい。アメリカ生まれの「人間関係論」その他のプラグマティズムが、まったく主体的に吟味なく導入されて、さまざまな症例の説明につかわれています。
そこでは、患者の客観的な生活の様子や歴史が、人間関係のみで解釈されてしまいます。どんなにきつい労働で心身が疲労し、乗りこえるべきストレスに、どう対応したか、あるいはできなかったかが吟味されるよりも、夫婦仲が悪くなってセックスがどうであったかなどという現象がおもな話になってしまうのです。

「過労」の問題や「ストレスとしての時間」の問題から離れてしまうと、生身の人間の心身を両方とも統一してとらえることができず、いわゆる心理学主義になってしまうのです。

心身医学の本を読むと、気になる傾向として、この心理学主義がある。内科的な検査で、データ上異常がないと、そこに存在する自律神経症状なども心理学的に説明されてしまいます。しかし、事実の問題として「データ1 に異常ないが、あなたは疲れている」「あなたの生活は忙しすぎるから神経が疲れている」という問題である場合も多いはずです。したがって、精神療法よりも、十分な休養、適切な気分転換などを指導することの方が有効な場合も多いはずです。

急増しているストレスシンドローム
https://jiritsu-guide.com/2013/06/06/%E6%80%A5%E5%A2%97%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A0/

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