従来のスケールとは桁違い
まず、昨今のこの不況による経済や生活の破綻、将来への不安が、従来のスケールとはケタ違いであることがあげられます。それは、これから長引くだろうという先行きの暗い見通しだけではなく、従来の高度経済成長からバブル期にいたる消費、借金や投資に対する甘い考え方が蔓延していることもあります。
たとえば、長男小さい工場が友人の会社の不渡りで倒産すると、連帯保証人になっていた親戚や兄弟まで破産してしまったという話や、ある電気メーカーで、リストラのプロジェクトチームをつくり、その陣頭指揮に立っていた人が、結局自分をも人員整理しなければならなくなり、はじめてリストラの恐ろしさを知ったという話、夫が自己破産して、自宅が競売にかかっている、その家に住んでいる妻が、「自分たちが手塩にかけてつくった家、誰かの手に移るかもしれない、そのときは出なければならないけど、今はまだ自分のものとして住んでいる」と落ちつかない不安を訴える話など、数年前までの生活状況と現在の生活状況との落差の大きさを見せつけられるのです。これもドラマや小説の話ではなくノンフィクションなのです。
こういう落差が、人間にとってはストレスとなるのです。
疲れ切っている
第二に、多くの人は、すでに疲れきっているという点であす。かつての好景気の頃、中高年の労働者は、伸びのびと、ゆったりと働いていたかというとそうではありません。
すでに「リストラのなかの精神的危機」でもふれたように、多くの人々は長時間・過密労働、慢性的寝不足、家庭で憩う時間の絶村的不足、まばらな対人交流などによって、精神的不安定、自律神経失調症状などの神経疲労の状態にありました。
こういう神経疲労の状態は、新しく変化する事態には村応しにくいのです。一生懸命村応しょうとするけれども、精神が柔軟に働かない、集中力や思考力も低下している。結果的に判断を誤ったり遅れたりで、事態をいっそう悪くするのです。
とくに、局面の大きな変化に対する精神的動揺も大きく、冷静な判断ができなくなってしまいます。神経疲労の状態では、容易に自信をなくしたり、無力感におちいったりします。
特に
さらに、睡眠障害(神経疲労の主要な症状である) のために、明け方に深刻に考えこんで、抑うつ状態になりやすい。「夜が明けなければいいのに」などと、厭世的な思いにとらわれてしまう。多くの人々にとって、神経疲労は、「気のせい」「もっとがんばればいいのだ」「それができないのは、私の精神力が弱いから」と心嘩学的にとらえられがちなものです。
だから、急激な局面の変化に出会っても、なんとか、心理的に乗りこえようとして、自らを励ますのです。また、周囲の人も、「元気を出せ」「ここを乗りこえれば、なんとかなるかもしれないのではないか」などと、激励するのです。
しかし、神経疲労は、生理学的にとらえなければなりません。いくらがんばっても生理的に機能しない状態なのです。よく眠り、よく食べ、頭脳をしっかりと休ませなければなりません。
このことが、この落差のきわめて大きい社会生活の変動に耐えきれずに、「うつ状態」におちいる要因になることは、十分に想定できるのです。
競争原理
第三に、日本的な能率主義のなかでつくられてきた競争原理、「負け犬になりたくないというプライド」が問題になってしまいます。競争原理によれば、負けたくないとがんばることが当然となります。
そのなかで、柔軟に方向を転換するとか、勝ち負けよりも別の価値基準で自分の生き方を変えるなどということがむずかしくなるのです。そして、1つの価値基準勝つか負けるかによって自分を励まし、それなりの努力します。その結果、成功するときはよいのですが、かならずしもうまくいかないときは、孤独、無力、敗北感に追いこまれてしまうのです。
これもまた、「うつ状態」の準備状態です。このように、好況期につくられた日本人の社会意識そのものが、急激な不況という事態に耐えにくい精神構造を準備していたといえるのです。