子どもが大人になることについて、従来から1つの前提条件がありました。今、そういう前提条件を獲得していない若者が多く存在する現実に直面して、私たちはその前提条件を発見したともいえます。
子どもが大人になるために獲得していなければならない前提条件とは、なにかというと、それは「社会に参加できる」ということです。子どもは、大人になれば当然のこととして社会に参加する。そこで、ひとりひとりの頭のよさや才能や根性などの違いによって社会のなかでの生き方が変わってきます。
だれよりも、うちの子が、社会という大海原をカツコよく生きてほしい、あるいは楽しく生きてほしいなどの願いをこめて、親は、子どもの教育や才能開発に力を入れ、金を使います。
だれもが、子育てをはじめた頃は、「20年後、この子は社会に参加する」というイメージを前提にしている。自分が社会に出たように。
前にもふれましたが、大人は、多くの場合、自分の発達の時代を忘れて、突然大人になったように考えていますまた、自分の性格の特徴が子ども時代の発達のなかで形成されてきたという、そのプロセスを忘れてしまっています。
時々思い出話として「オレの親父は、きびしかったヨ。それがオレの根性の源だ!」とか「お母さんが、いつもボクをかばってくれた。あの無条件の愛は、ほんとうにうれしかった」などと断片的、一面的に思い出すが、それも時々です。
もちろん、あまり自分の過去にこだわりすぎると、むしろ自己否定的な感情を強めてしまうので、どんどん過去を忘れていくのは、それでいいことなのですが。
とにかく、大人は、自分がこうして大人として社会参加できるのは、自分の子ども時代の「社会参加の練習」の積みかさねがあってこそなのだということを忘れています。子どもをめぐる社会環境が、どの世代によってもほとんど変化しない時代は、それでよかった。もう何万年もの間、人間の子どもは、子ども社会で遊びほうけているうちに、無自覚的に社会参加の練習をして、あるとき、突然「大人になったよ」といわれて、大人としての社会に参加するという巣立ち方をしてきたのでしょう。
だから、大人は、自分の子ども時代の体験を忘れてもよかったのです。しかし、現代の子どもの育つ環境は、とくに日本やアメリカなどでは激変している。テレビ、テレビゲームなどの機械的視聴覚刺激、紙オムツヤクーラーなどの人工的環境、超早期教育、豊富な子ども用品、能力主義、消費文化など、大人の生活文明が、まったくチェックされずに子ども社会をおおってしまっています。
さらに生活リズムは崩れ、食生活は乱れ、神経疲労で、子どもの「ストレス抵抗力」は低下しています。こういう子ども社会の質的な変化がおこっているなかで、私たちは、汝ハの世代の大人たちを育てているのです。
だから、私たち自身、どのようにして大人になったか、どのようにして社会参加の力を身につけたか、思い出してみなければならないのです。
そして、今の子どもたちが、将来大人の年齢になったときに、生きいきと勇敢に社会に飛びだしていけるように、子ども時代のあり方も抜本的に変えなければなりません。
子ども時代のあるべき形を、私たちは復活させなければならないと思うのです。
私たちは、なにげなく社会に参加し、一応自立した生活をしてますが、それは才能でも特技でもなく、人間としてあたりまえの条件が満たされているからです。
- 群れのなかに安心していられること
- 感情のコントロールがしなやかであること
- 自律神経系がバランスよく安定していること
- 自分を肯定的にとらえることができること
などのことです。「会社に就職する」とか「大学でサークルに入る」とか「地域の青年団に入る」とか、大人的なつきあい方ができるためには、この3点ぐらいは当然大事だろうと、どなたも納得されるでしょう。さらに、この3点に、
をつけくわえたいのです。4は、前述の3点が満足されていれば蛇足のようなものですが、自分の長所や短所を含め、自分というものを「これが私であって、これ以上でも、これ以下でもない。この自分でいいのだ。この自分が好きだ」と、肯定的にとらえられる気持ちになつていることが大事です。
この自己肯定感は、群れのなかにいても自分を安心してみていられる気持ちであり、感情を動揺させないで、したがって、ドキドキしたり不眠症になったりもしない自律神経の安定した状態で、社会参加できる自己感情として大事なのです。