理性のポイントとなる「 共感脳 」

相手の感情がわかることによって、我慢や忍耐の心は働きます。では、なぜ相手の感情がわかると、人は「我慢しよう」もしくは「我慢しなきゃ」と思うのでしょうか。

みなさんはどうでしょうか。どういうときに「自分が我慢しても人に譲ろう」と思いますか? それは、相手の感情に「共感」したときだと思います。相手の悲しみや苦しみに共感できたとき、人は「それほど悲しいのなら」「そんなにも苦しいのなら」と自分の感情を抑えて相手に譲るのです。

「共感」とは、共に感じると書きますが、もっとかみ砕いて言えば、「読みとった相手の感情と同じ感情を自分も感じる」ということです。感情を抑えるのは理性ですが、実はその理性を働かせるのは、共感という感情の一致なのです。

動物は感情を持っていますが、相手に共感することはめったにありません。共感は人間だけに見られるものです。ということは、共感の働きは人間脳(大脳皮質)にあるということです。では、その働きは、人間脳の中のどの部分にあるのでしょう。

実はそれは、この章の最初の部分でお話しした「心の場所」である前頭前野の中の、さらにその真ん中の部分「 内側前頭前野 」というところにあるのです。このことから 内側前頭前野 は、別名「 共感脳 」ともいわれています。

「前頭前野」というのは、わかりやすく言うと、額のちょうど真ん中部分にあたります。

仏像を見ると額に小さな丸いものがついています。あれは「白竜」というのですが、ちょうど脳のあのあたりに位置する脳が「内側前頭前野」です。人間が社会生活をするうえで必要な、「我慢の心」や「共感」といった能力は、「内側前頭前野= 共感脳」の働きによってつくり出されていたのです。

我慢できない大人、我慢ができる子供

当たり前ですが、子供は大人ほどがまん強くありません。すぐに泣いたり怒ったり、感情がストレートにそのまま行動や言動に出てしまいます。なぜ、子供は感情をコントロー〜することが下手なのでしょう。

子供が自分の感情をなかなか抑えられないのは、前頭前野がまだ充分に発達していないからです。前頭前野だけでなく、幼い子供の脳は、まだ充分には発達していません。生まれたばかりの赤ちゃんは、寝返りすら打てません。

でも、成長とともに首が座り、寝返りが打てるようになり、やがてハイハイをして、立って歩くようになります。これはそうした運動に関する脳の部分(大脳や小脳など) が発達していっていることを意味しています。

言葉も最初は何を言っているのかわかりませんが、次第に意味をなすようになり、3歳ぐらいになるとビックリするぐらいきちんと話すようになります。これも、言語脳がものすごい勢いで成長していくからです。がまんの心も同じです。

赤ちゃんは感情むき出しですが、成長するに従って、お母さんや周りの人から「ちっよとがまんしてね」「もう赤ちゃんじゃないんだから、こういう場所では静かにしているのよ」と、社会生活をするうえで必要な「がまん」を教えられることで「がまんの心」を育てていきます。

このとき、とても大切なもう1つの能力、「表情などから相手の心を読む能力」が、さらに磨かれます。たとえば、子供同士でオモチャの取り合いになったとしましょう。1歳ぐらいの小さな子供は、相手が泣いていようが怒っていようがおかまいなしで、自分の感情を優先させます。でも、がまんの心が育つと、相手が泣き出すと「じやあ、いいよ」と相手にオモチャを譲ることができるようになります。

これは、自分の「オモチャが欲しい」という感情を理性で抑えているのですが、そうするのは、相手が悲しんでいるということを理解している、つまり相手の感情を読みとることができているからです。相手の気持ちがわからなければ、自分の感情を抑えることはできません。がまんの心もまた、相手の心を読みとる前頭前野の発達と同時に成長するということです。

さて、こんな実験データがあります。それは、小学校でいじめを頻繁に行う子供と、いじめをしない子供の両方に、同じ人物写真を見せて、その写真の人物の表情から、その人がどんな感情を抱いているか読みとってもらうという実験です。

結果ははっきりとした違いになって表れました。いじめをする子供は、表情からその人の感情を読みとることが、圧倒的に下手なのです。怒っている顔が無表情に見えたり、笑っている顔が相手をバカにしている顔に見えたりしてしまうのです。

いじめをする子供に、「どうして相手が嫌がっているのにやめないの? 」と聞くと、「嫌がっているとは思わなかった」と答えることがよくありますが、それは本当だったのです。「そんなの自分の罪を隠すためのウソじゃないの? 」と思った方もいることでしょう。

もちろん、相手が嫌がっているとわかっていていじめをする子供も中には存在します。でも多くのいじめっ子は、相手の表情が読みとれないことから来る「誤解」でいじめをしてしまっているのです。そして、その表情から心を読みとる能力が低いということは、同時に自分の感情をコントロールする能力も低いということになります。

だから、なかなかいじめがなくならないのです。でも、そういう子供は、単に前頭前野の発達が何らかの理由で遅れてしまっているだけなので、前頭前野を鍛えれば、自然と「がまんの心」も「相手の表情から感情を読みとる能力」も身につきます。

子供が感情に負けてしまうのは、前頭前野が未発達だからです。

では、大人の場合はどうでしょう。私たちはときどき、子供のように感情を爆発させる大人に出会います。そうした大人も前頭前野が未発達なのでしょうか。結論から言うと、答えは「NO」です。大人が感情をコントロールできないのは、子供の場合とは原因が違います。

大人の場合、多くは疲労やアルコールの摂取など何らかの要因によって、前頭前野の働きが弱っていることが原因です。朝よりも夜の方が電車でキレる人が多いのは、夜の方がストレスが蓄積され、精神的ストレスを受け流す「セロトニン神経」が弱っているからだとお話ししましたが、同時に夜はお酒を飲んでいる人が多いことも、キレる人が増える原因の1つとなっているのです。
https://health-memo.com/2018/02/02/%e3%82%b9%e3%83%88%e3%83%ac%e3%82%b9%e3%82%92%e5%8f%97%e3%81%91%e3%81%a6%e3%81%84%e3%82%8b%e3%81%ae%e3%81%af%e8%84%b3/
普段ならがまんできることが、お酒を飲んでいたためにがまんできず、ついつい言い争いやケンカになってしまったということは、お酒を飲む人なら誰でも経験していることだと思います。あのコントロールの効かなさ、それこそが前頭前野の働きが弱った状態なのです。このように大人と子供では、「感情をコントロールできない」という現象は同じでも、原因は違うのです。

真似による人の心を読み取る能力

「顔で笑って心で泣いて」この言葉は、人間がすばらしい能力を持っていることを物語っています。顔は笑っているのに、なぜ「心の中ではこの人は泣いている」ということがわかるのでしょうか。意識的に心を隠そうとしても、人は相手の本心を見抜くことができる、隠そうとしても隠せないものを読みとる能力を持っているということを、この言葉は表しているのです。

人は生まれながらに、この能力の基本的な素養を持っています。赤ちゃんは、お母さんの声や視線、さらにはぬくもりといった皮膚感覚を通して、お母さんの心をとても上手に読みますが、それができるのはこの能力を使っているからです。

でもそれは、「読める」といっても、感覚的にわかっているというだけです。わかつたことがきちんと認識できるようになるためには、大脳皮質の言語脳の発達と、この前垂別野の能力をリンクさせていくことが必要です。

幼い子供はそれを、「まね」を通して行っていきます。幼稚園前後の小さな子供は、周りの人のまねをよくします。兄弟のいる子ならお姉ちゃんやお兄ちゃんのまね、いない子はお母さんやお父さん、あるいは幼稚園の先生など身近な人のまねをします。あれは、相手の行動や言葉をまねること、つまり同じ行動や言動をすることによって、その人がどうしてそういう行動をとるのか、なぜそう言ったのか、そのときの「心」を体験し、学んでいるのです。ですから、「まね」というのは、脳の発達においてとても大切な訓練なのです。

子供は人まねを何度も何度も繰り返すことで、前頭前野を発達させていきます。そして、この他人の「まね」をするという行為は、他者の心を理解すると同時に、他者と自分の違いを脳にインプットしていく行為でもあるのです。

というのも、人のまねをすることで、自分はこれができてこれができない、自分はこう思うけど人はこう思う、という自分と他者の違いを認識することになるからです。「自分」が確立されるのと同時に「他者を理解する脳」がつくられます。

子供の脳は、1つの行動を通して、同時にいくつものことを学んでいるのですが、いくつもの能力が同時に育っていくからこそ、人は成長したときに、言葉でコミュニケーションをとりながら、同時に相手の行動を見て、その人の本当の「心」を読みとるといった複雑なことができるようになるのです。最近の若者は、場の空気を読めない人を、「KY (ケーワイ)」と言うそうですが、空気を読めないというのも、その場の人たちの心が読めないということですから、言い換えれば、「前頭前野がうまく働いていない人」ということがいえます。

「KY」などという新しい言葉ができるぐらいですから、そういう人が増えているのでしょうが、その原因の1つは「核家族」という家庭のかたちにあると私は思っています。なぜなら、この、「言葉ではないものから相手の心を読みとる」という能力は、大家族の中で育てば、それだけで自然と身につくものだからです。

近頃は核家族という言葉が使われることはほとんどなくなりました。それだけ親と子供だけの少人数の家庭が、当たり前になってきているということです。でも、それは脳の発達という点からみると、決してよいことではないのです。

特に、脳の発達にとってよくないのは、小さい子供を「テレビに子守させる」こと。お母さんは忙しく、他に子守をしてくれる人もいないので、ついつい家事をする間、子供に「おとなしくテレビ見ててね」とテレビに子守をさせてしまいがちです。その気持ちはよくわかります。でもテレビは、子供がいくら話しかけても笑いかけても、何の反応も示しません。

一方通行でコミュニケーションがまったく成立しないのです。テレビをよく見る子供はテレビに出てくる人のまねをしますが、相手の反応がないので、直接他人のまねをするのと比べると、脳の中で起きていることはどうしても違ってしまいます。

コミュニケーションが成立しないので、相手の反応を見て軌道修正をし、正しい理解に到達するという大切なステップが抜け落ちてしまうのです。ごく簡単に言えば、そこにコミュニケーションがないので、「多分、相手はこう思っているのだろう」という暖味な理解しかできないということです。これでは他者を理解することも、自己を確立することもできません。つまり、前頭前野の発達が充分には行われなくなってしまうのです。子供のとき、子守を「誰が」したかで、脳の発達具合は大きく変わってくるのです。「