「ストレスだなぁ!」「ストレスで辛い」という言葉は、現代社会にはふさわしい言葉といえます。江戸時代の人々にもストレスがなかったわけではないだろうけれども、もっと時間がゆったりとしていました。
現代のように、ものごとが時間どおり正確に行われなければならなくなってから、人間は「ストレス」を感じるようになってしまいました。
ハンス・セリエがストレス学説を打ちだしたのは1940年代後半ですが、世界中が近代科学の発展とともに、あらゆる生活場面で自動機械化、スピードアップ、大量生産が帽をきかせるようになり、自然のリズムとともに生活するなんてことが困難な、人工的な環境につつまれるようになりました。
セリエのストレス学説は、私たちのこの新しい世界の生活様式におけるひずみを説明するのに、格好のものとなりました。それと同時に、「ストレス」というと、なにか不快な、困ったものという印象も強く、人々は敬遠できればそうしたいと願うようなものと思っているようです。
本当は、ストレスにはストレスの効用とでもいってよい素晴らしい役割があるのですが、「ストレス」という言葉についてまわるこのマイナス・イメージはセリエの学説そのものからきているのかもしれないと思われます。
セリエのストレス学説
20世紀前半は、まさに生物学、医学の新しい発見、新しい概念の誕生のめざましい時期でした。セリエも新しい発見をすべく生化学教室で性ホルモンの研究に熱中していました。
ところが、彼が発見したのは、新しいホルモンなどの物質ではありませんでした。ラットの身体に与えられるさまざまな刺激(非特異的な因子) によって、1つの同じような変化がおこるという現象でした。
つまり、薬理作用のちがう薬物や、寒さや過度の運動など、その刺激はまちまちであっても、結果としてはラットの身体に共通する変化をひき起こすことを発見したのです。
もちろん、このような事実は、昔から知られていたことではありますが、実証的研究が定着しつつあったこの科学の時代になって、セリエが動物実験によって実証したことに意味がありました。
そして、そのような刺激をうけたときの生体の変化を、物理学の用語をつかって「ストレス」と命名したところに、時代にフィットするところがあったのです
ストレスというのは、もともとは、物理学の分野で、外力に村する物質のゆがみという意味でした。
たとえば、ゴムボールを指で押したとする。強くおせば、ボールは凹み、形はゆがむ。強く強く押すとボールはゆがんで変化する。指でなく棒で押せばボールは結局耐えられずにやぶれてしまいます。つまりボールでなくなるります。これがストレスであり、指や棒をストレッサーといいます。
セリエは、これを生物学に応用したのです。そして、セリエのいうとおり、動物(セリエのときはラットであったが) に対するストレッサーは、薬物などでない、恐怖、不安、痛みなどの体験(人間でいえば感情体験である) でもよいという事実から、このストレス学説は、医学、生理学の枠をこえて、心理学、社会学へと広がり、そして今や一般の常識語とすらなったのである。
なったのです。