真似による人の心を読み取る能力

「顔で笑って心で泣いて」この言葉は、人間がすばらしい能力を持っていることを物語っています。顔は笑っているのに、なぜ「心の中ではこの人は泣いている」ということがわかるのでしょうか。意識的に心を隠そうとしても、人は相手の本心を見抜くことができる、隠そうとしても隠せないものを読みとる能力を持っているということを、この言葉は表しているのです。

人は生まれながらに、この能力の基本的な素養を持っています。赤ちゃんは、お母さんの声や視線、さらにはぬくもりといった皮膚感覚を通して、お母さんの心をとても上手に読みますが、それができるのはこの能力を使っているからです。

でもそれは、「読める」といっても、感覚的にわかっているというだけです。わかつたことがきちんと認識できるようになるためには、大脳皮質の言語脳の発達と、この前垂別野の能力をリンクさせていくことが必要です。

幼い子供はそれを、「まね」を通して行っていきます。幼稚園前後の小さな子供は、周りの人のまねをよくします。兄弟のいる子ならお姉ちゃんやお兄ちゃんのまね、いない子はお母さんやお父さん、あるいは幼稚園の先生など身近な人のまねをします。あれは、相手の行動や言葉をまねること、つまり同じ行動や言動をすることによって、その人がどうしてそういう行動をとるのか、なぜそう言ったのか、そのときの「心」を体験し、学んでいるのです。ですから、「まね」というのは、脳の発達においてとても大切な訓練なのです。

子供は人まねを何度も何度も繰り返すことで、前頭前野を発達させていきます。そして、この他人の「まね」をするという行為は、他者の心を理解すると同時に、他者と自分の違いを脳にインプットしていく行為でもあるのです。

というのも、人のまねをすることで、自分はこれができてこれができない、自分はこう思うけど人はこう思う、という自分と他者の違いを認識することになるからです。「自分」が確立されるのと同時に「他者を理解する脳」がつくられます。

子供の脳は、1つの行動を通して、同時にいくつものことを学んでいるのですが、いくつもの能力が同時に育っていくからこそ、人は成長したときに、言葉でコミュニケーションをとりながら、同時に相手の行動を見て、その人の本当の「心」を読みとるといった複雑なことができるようになるのです。最近の若者は、場の空気を読めない人を、「KY (ケーワイ)」と言うそうですが、空気を読めないというのも、その場の人たちの心が読めないということですから、言い換えれば、「前頭前野がうまく働いていない人」ということがいえます。

「KY」などという新しい言葉ができるぐらいですから、そういう人が増えているのでしょうが、その原因の1つは「核家族」という家庭のかたちにあると私は思っています。なぜなら、この、「言葉ではないものから相手の心を読みとる」という能力は、大家族の中で育てば、それだけで自然と身につくものだからです。

近頃は核家族という言葉が使われることはほとんどなくなりました。それだけ親と子供だけの少人数の家庭が、当たり前になってきているということです。でも、それは脳の発達という点からみると、決してよいことではないのです。

特に、脳の発達にとってよくないのは、小さい子供を「テレビに子守させる」こと。お母さんは忙しく、他に子守をしてくれる人もいないので、ついつい家事をする間、子供に「おとなしくテレビ見ててね」とテレビに子守をさせてしまいがちです。その気持ちはよくわかります。でもテレビは、子供がいくら話しかけても笑いかけても、何の反応も示しません。

一方通行でコミュニケーションがまったく成立しないのです。テレビをよく見る子供はテレビに出てくる人のまねをしますが、相手の反応がないので、直接他人のまねをするのと比べると、脳の中で起きていることはどうしても違ってしまいます。

コミュニケーションが成立しないので、相手の反応を見て軌道修正をし、正しい理解に到達するという大切なステップが抜け落ちてしまうのです。ごく簡単に言えば、そこにコミュニケーションがないので、「多分、相手はこう思っているのだろう」という暖味な理解しかできないということです。これでは他者を理解することも、自己を確立することもできません。つまり、前頭前野の発達が充分には行われなくなってしまうのです。子供のとき、子守を「誰が」したかで、脳の発達具合は大きく変わってくるのです。「

前頭前野を失った場合は

前頭前野は、人間にとってとても特別な脳です。なぜなら、人間を一番「人間らしく」する働きをしている脳だからです。

事故で前頭前野だけが傷ついた人の数少ない症例からすると、その人が損傷したのは前頭前野だけで、脳の他の部分は無傷でした。事故に遭われたのは不幸なことですが、この人に事故の前と比べて何かできなくなっていることがあれば、それが前頭前野の働きだということがはっきりします。

発達した前頭前野を持っているのは人間だけなので、その部分がどのような働きをしているのかということは、動物実験では調べることができません。そういう意味で、このケースは、医学的にとても重要な症例なのです。

事故から回復したとき、その人は左すると他の人と何も変わったところがないように見えました。言葉もちゃんと話すことができるし、きちんと歩くこともできます。食事も自分でできるし、排泄もできます。しかし、たった1つだけできなくなったことがありました。それは「社会生活」です。

具体的に言うと、その人は他人と社会的なコミュニケーションがとれなくなってしまっていたのです。私たちは普段、人とコミュニケーションをとるとき「言葉」を使っています。そのため、言葉から相手の思いをくみ取っていると考えがちです。

でも、そうではないことを、この症例は教えてくれています。なぜなら、この人は、言葉をちゃんと話すことも、相手が話している内容も理解できたのに、相手の思いをきちんとくみ取ることができなかったからです。実は私たちは、人とコミュニケーションをとるとき、無意識に相手の仕草や表情、声のトーンなどから、その人の心を読みとっているのです。

この人が社会的なコミュニケーションがとれなくなってしまったのは、その「言葉ではないものから読みとる」ということができなくなってしまっていたからでした。その他にもこの人は、意欲を持ってテキパキと仕事をこなすということもできなくなっていました。つまり、

人間関係の中で自分をコントロールしながら生きていくことができなくなっていたのです。これによって、前頭前野は、人間が社会の=異として生きていくために必要不可欠な働きをしていることが明らかになったのです。
ところで、生きていくことには問題がないのに、社会生活をすることができない。そう聞いて何か思い出しませんか?そうです。「ニート」や「引きこもり」と言われる人たちが、これととてもよく似た状態にあるのです。

彼らは、人との接触を拒む以外は、家の中で普通に生活しています。ご飯も食べるしテレビも見ます。インターネットを通してなら、外部とコミュニケーションもとります。ここでポイントなのが「ネットを通してなら」というところです。

彼らはチャットやメールはしますが、人と会って話すことは嫌がります。電話すらほとんどしません。つまり、人と直接コミュニケーションをとることを嫌うのです。そして、ひとりで部屋にこもって、テレビやパソコンといった、現実場面での交流を必要としないものを好むのです。

でも、人間というのは、本来はひとりでは生きていけない社会的な生き物です。だからこそ、脳を発達させ、言語を操る能力を身につけ、相手の行動や表情から、相手の心の中にある思いを読みとる能力を培ってきたのです。

それなのに、他人と直接のコミュニケーションができない、またはそういうことをしたくないと感じる、あるいは、しようと思ってもうまくできないというのですから、これは人としてかなり危機的な状態です。でも、彼らは前頭前野を失っているわけではないのです。単に前頭前野の働きが弱っているだけなのですから、そのことを自覚して努力すれば、弱ったものは回復させることも強くすることもできるはずなのです。

人生を決定づけている脳の3ヶ所

心はどこにある?心の場所は脳にある

脳の研究が進んだことによって、今では「心の場所」は脳の中にあることがわかっています。これまでは、英語で心を意味する「heart」という語が同時に心臓を意味するように、「心」は心臓の位置にあると考えられていました。

もちろん、これは大きな発想の転換でした。でも、この事実を知っただけで満足している人がほとんどで、私たちは脳の「どの場所」に心があるかまで正確に知っている人はごく少数のように思います。

はっきり申し上げますと、「心は脳の中にある」という曖昧な知識だけでは、知識がないのとほとんど変わりません。もちろんストレスを「消す」ことなんて、とても無理な話です。というのも、ストレスによって心が病んでしまうということも、脳の中にその要因があるからです。

「脳ストレス」という言葉を使うのも、まさに、みなさんに「心の場所」を明確に知ってもらうためです。精神的なストレスヘの対処も、「心の場所」を突き詰めることで初めて明らかになりました。私たち人間は他の多くの動物よりも大きな脳を持っています。

身体の大きさに対する脳の割合でいうと、人間は一番大きな脳を持っているといえます。

チンパンジーと人間も、脳をみればその違いは一目瞭然で、人間の方が遥かに大きな前頭葉を持っています。私たち人間の脳は、その進化とともに少しずつ発達してきたものです。そのため、最も原始的な脳である「脳幹」を中心に、その外側に少しずつ新しい脳が「増築」されたような構造になっています。

脳幹は別名「自立脳」といって、呼吸、循環、消化などの自律神経機能、さらには阻囁や歩行といった基本的な生命活動に必要な、運動を調節する機能が存在しています。その脳幹の上に位置するのが間脳「視床下部」。視床下部の別名は「生存脳」といい、食欲と性欲という生存に不可欠な働きをしています。

視床下部の外側に位置するのが「大脳辺縁系」。ここは、喜びや悲しみ、怒りや恐怖などさまざまな感情が形成される場所なので「感情脳」といいます。私たちにとって身近な動物である犬や猫などのペットが感情豊かな行動を見せるのは、彼らの脳にこの大脳辺縁系があるからです。

人間の脳が、他の動物と大きく違うのは、この大脳辺縁系のさらに外側で、脳の一番外側に位置する「大脳皮質」が発達していることです。人間が豊かな知能を持ち、言葉を使い、社会的な生活を営むことができるのは、大脳皮質が発達しているおかげなのです。

大脳皮質は、その場所によって大きく4つに分類されます。顔のある側を「前頭葉」、両サイドを「側頭葉」、頭頂部付近を「頭頂葉」、背中側を「後頭葉」といいますが、耳にしたこともある人も多いはずです。

さて、ではこうした構造の脳のどこに「心の場所」はあるのでしょう。心の場所は、実は「2ヶ所」 あります。1つが感情脳(大脳辺縁糸)。そしてもう1つが感情脳と強く結びついている「前頭前野」です。前頭葉の中でも、最も前の方に位置する部分を、特に前頭前野といいますが、心の場所の中心は、その前頭前野にあると考えられるのです。

つまり、この前頭前野の働きによって、ストレスを感じたり、逆に解消したりすることができるのです。「人間らしさ」のすべてを形成している脳であり、脳ストレスを生み出してもいる脳なのです。

ストレスを感じているのは脳 | 健康メモ