前頭前野を失った場合は

前頭前野は、人間にとってとても特別な脳です。なぜなら、人間を一番「人間らしく」する働きをしている脳だからです。

事故で前頭前野だけが傷ついた人の数少ない症例からすると、その人が損傷したのは前頭前野だけで、脳の他の部分は無傷でした。事故に遭われたのは不幸なことですが、この人に事故の前と比べて何かできなくなっていることがあれば、それが前頭前野の働きだということがはっきりします。

発達した前頭前野を持っているのは人間だけなので、その部分がどのような働きをしているのかということは、動物実験では調べることができません。そういう意味で、このケースは、医学的にとても重要な症例なのです。

事故から回復したとき、その人は左すると他の人と何も変わったところがないように見えました。言葉もちゃんと話すことができるし、きちんと歩くこともできます。食事も自分でできるし、排泄もできます。しかし、たった1つだけできなくなったことがありました。それは「社会生活」です。

具体的に言うと、その人は他人と社会的なコミュニケーションがとれなくなってしまっていたのです。私たちは普段、人とコミュニケーションをとるとき「言葉」を使っています。そのため、言葉から相手の思いをくみ取っていると考えがちです。

でも、そうではないことを、この症例は教えてくれています。なぜなら、この人は、言葉をちゃんと話すことも、相手が話している内容も理解できたのに、相手の思いをきちんとくみ取ることができなかったからです。実は私たちは、人とコミュニケーションをとるとき、無意識に相手の仕草や表情、声のトーンなどから、その人の心を読みとっているのです。

この人が社会的なコミュニケーションがとれなくなってしまったのは、その「言葉ではないものから読みとる」ということができなくなってしまっていたからでした。その他にもこの人は、意欲を持ってテキパキと仕事をこなすということもできなくなっていました。つまり、

人間関係の中で自分をコントロールしながら生きていくことができなくなっていたのです。これによって、前頭前野は、人間が社会の=異として生きていくために必要不可欠な働きをしていることが明らかになったのです。
ところで、生きていくことには問題がないのに、社会生活をすることができない。そう聞いて何か思い出しませんか?そうです。「ニート」や「引きこもり」と言われる人たちが、これととてもよく似た状態にあるのです。

彼らは、人との接触を拒む以外は、家の中で普通に生活しています。ご飯も食べるしテレビも見ます。インターネットを通してなら、外部とコミュニケーションもとります。ここでポイントなのが「ネットを通してなら」というところです。

彼らはチャットやメールはしますが、人と会って話すことは嫌がります。電話すらほとんどしません。つまり、人と直接コミュニケーションをとることを嫌うのです。そして、ひとりで部屋にこもって、テレビやパソコンといった、現実場面での交流を必要としないものを好むのです。

でも、人間というのは、本来はひとりでは生きていけない社会的な生き物です。だからこそ、脳を発達させ、言語を操る能力を身につけ、相手の行動や表情から、相手の心の中にある思いを読みとる能力を培ってきたのです。

それなのに、他人と直接のコミュニケーションができない、またはそういうことをしたくないと感じる、あるいは、しようと思ってもうまくできないというのですから、これは人としてかなり危機的な状態です。でも、彼らは前頭前野を失っているわけではないのです。単に前頭前野の働きが弱っているだけなのですから、そのことを自覚して努力すれば、弱ったものは回復させることも強くすることもできるはずなのです。

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