心の発達の弁証法について

今、多くの人々が「子ども時代の危機」について盛んに論じています。それぞれの主張に、それぞれの真理がふくまれています。しかし、究極は、親の責任を責めるところにおちつくものが多いのです。

たとえ、社会の問題、教育の問題といっても、だから「親の姿勢が大事」という結論に行き着きます。親の役割、家庭の役割を強調するけれども、その趣旨は、大人が社会に向かって自立することを要求しているのです。

たとえば、残業を断わること、学校の先生に対しても自分の意見を述べること、そして、子どものために親と教師は手を結んでほしいのです。そして、なによりも、労働者として未来の労働者を育てるために労働組合に結集してほしいと、私は即訴えるのです。

現代は、子育ては、親だけで、あるいは学校だけでできるなんて時代ではないのです。かつて日本人が経験したことのない大変な時代なのです。

今、大人は、「子ども時代のルネッサンス」のために連携し、団結しなければならなりません。

親と教師・保育者はもちろん、労働運動、つまり、父母が働いている職場は当然であるが、マスコミや子ども向けの消費財をつくっている労働者たちも結集してほしいのです。

1つの例ですが、 30歳代前半のシステム・エンジニア。彼は、夜の帰りも遅いし、家に帰ってもパソコン・ゲームが気分転換。3歳の子どもがいるが、子育ては妻まかせ。子どもも、彼がパソコンをやっていると、のぞきこんできます。かわいいと思うけれど、どうしていいかわからなないのです。
もう少し大きくなったらパソコンを教えてやろうとは思っています。
妻には不満はありません。妻がどう思っているか? 妻は、時間もあるし、私も文句をいわないし、子どもと二人で満足していると思うけど。(そして今、子どもは5歳) 子どもは幼稚園にいっているが、集団のなかに入りたがりません。言葉は達者だけれど、人が群れているなかでは、大きい声が出ないのです。パソコンには興味がある。父親とゲームをしたがります。

彼の生活は変わっていません。子どもが内気なのは、妻が内気だからだろうと考えています。

この父母が問題だとだれも思うのが普通でしょう。そして、「もっと、子どもを愛しなさい」とアドバイスします。しかし、どう愛するのかわからないのです。

異なる指導が有効な場合もあります。「夜は、8時に寝かせなさい」と。この子は、夜11時ごろに寝ることが多かったのです。がんばって、午後8時。結局9時ごろになってしまうのですがそれでも、翌朝、子どもはご機嫌です。

このように、母親に、努力した成果をできるだけ早く経験させることが大事なのです。幼児の場合は1週間もあれば、「努力すれば子どもも変わりますね」という変化を見せることはできます。

ところが、思春期になると、1年かかってやっと変化がみえるということもあります。その間ずっと親を勇気づけ励まさねばなりません。

夜、8時に寝させるために、父親である彼の協力も得なければなりません。しかし、彼は、子どもと2人で過ごせないといいます。「私は、機械相手の方がいい」ともいいます。いずれにしても、家でのパソコンはやめてもらって、家庭の団欒に心がけてもらうように説得しているところです。ここで、子どもの心の発達を、総合的にみるための大切な3点です。

  1. 心の諸機能の相互関連をとらえる
    心の機能というと、思考、記憶、感情、意欲などと列記していくことができます。しかし、これらは、それぞれ他の機能とは違う本質をもっているのですが、決して独立して形成されているのではありません。だから、それぞれを説明するのに、他の機能と切りはなして記述することはできるが、実際に心を育てるという場面では、それぞれを別々に育てることはできないのです。

    つまり、「豊かな感情」だけを育てることはできないし、「すぐれた記憶」だけを育てることもできないのです。「豊かな感情」を育てるためには、子どもの記憶力も思考力も意欲も全部快くからみあって刺激しあって、活動することが愉快でたまらないような総合的な体験によって、やっと成功するのです。

    子どもの心の諸機能が相互関連的に作用するのが、子ども時代の体験です。体験の多様性が、子どもの性格の多様性の元です。活動することの快さを十分に味わえるような豊かな体験をした子は、可能性として遺伝された諸機能をバランスよく発達させることができるのです。

    虐待されたり、悲しい思いばかりして育った子は、諸機能の発達のバランスがよくないのです。人を信じない理由はいっばい考えることはできるが、人を信じる快さとか、「物事は悪いことばかりでない」などの見通しを信じることができないのです。

  2. 子どもの発達は、常に過去の土台の上に
    思春期は、かならず乳幼児期・児童期のあとにきます。決して、もう一度やりなおしはできません。

    子どもの心の構造(それを構成する諸機能を含む) はそれぞれの時期においてかならず過去の獲得物(それがプラスであっても、マイナスであっても)を土台にして形成されています。その構造形成の節目が、いわゆる児童期とか思春期のはじまりというものです。

    登校拒否の中学生などに「赤ちゃんがえり」といわれる現象をみることがあります。学校へ行かないことが容認されることをキッカケにして、幼児っぼい言葉づかいをし、母親の肌に触りたがったりする行動をいうのですが、その様子は、乳幼児期に甘えられなかったさみしさを今急いで取りかえそうとするかのようです。
    それは、当然、異常です。しかし、乳幼児期にしっかりと育てておかねばならなかった「バランスのとれた心の構造」というものの価値を、私たちに教えてくれているのです。子ども時代は、過去をやりなおすことはできません。だからこそ乳幼児期の子育てを重視しているのです。人間は、誕生のその瞬間からその子育てがはじまる。若い親たちに悔いのない子育てを教えたいのです。労働組合も、子育てや家庭の問題に取り組むべきだと思うのです。

  3. 環境に働きかけて育つ主体者としての子ども
    子どもの発達は、環境のなかで受動的ではありません。植物だって環境のなかで自分を変えつつ適応し、生きのびる。受動的なだけでは生きのびることはできません。

    人間の子ども時代も、能動的に生きるための方法を学ぶためにこそ存在するものです。そのような「能動的・自主的に生存する術を学ぶ時期」としての子ども時代が必要でなければ、人間の子ども時代は、かくも長く必要なかったのです。

    子どもは、発達する主体者であり、大人になったときに自立するための主体的な努力をするものです。私たち大人は、その努力する主体者を守る環境の一部であって、決して指導者ではないのです。

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