アルコール依存症からの脱出

アルコール依存症からの脱出は、一方でアルコール依存症にならないための努力であるともえるでしょう。アルコール依存症を乗りこえる鍵が断酒にある以上、アルコール依存症にならないためには断酒しなくてもいい飲酒の仕方、つまり、抑制の効いた自立的な飲酒というレベルを維持することが人切だということになります。

「つまり、アルコール依存症と診断される前の適正な飲酒の仕方というものがあるなら、そうしたいということになります。現代社会は、まさにさまざまな依存症におちいりやすいストレス過剰と消費優先の社会であることは、すでに話しましたが、そのなかでもアルコールは最も安易な依存対象として存在します。

だから、このアルコールを上手にのみこなすことが、この現代社会に生きるコツの1つとしていいことではなでしょうか?。そのためのいくつかのポイントです。

アルコールは、人生の一部分であること

どんなに飲むことが好きでも、朝から飲んではいけません(休日でも)。かつ、自分の適量を守ることです。日本酒だったら1合くらい。ビールだったら大びん1本。ウイスキーならばダブル1杯というところを基本とします。これなら、毎晩やってもよいでしょう。

アルコール以外に、人生の楽しみをもつこと

だいたいアルコール依存症になる人は、趣味の少ない人が多いです。仕事とアルコールで人生のすべてになっています。これでは、自立しているとはいえません。仕事依存症とアルコール依存症になってしまっているわけです。しかも、この両方とも、ある程度のところまでは、世間では肯定的評価を受けるし、当然、当人の自己評価も高くなります。だから、自分は仕事やアルコールに依存して、本当は自立していないという「病識」は、そもそもつきにくいものです。

だからこそ、これからの社会人は、子ども時代から、自立的な生き方を家庭や学校でしっかりと学ぶ必要があると思います。賃労働などの与えられた課題に依存しない生き方、アルコールなどの外的物質に依存しない豊かな生活態度を学ぶ必要があります。

子ども時代から消費文明にどっぷりとつかり、競争原理をしっかりと身につけるような現在の子どもたちは、豊かな自立した生活をつくれるかどうか疑問です。その意味からも、現在の大人たちの労働時間が短縮されて、子どもたちと団欒を楽しむ文化運動が必要であります。しかも、家族中でテレビを囲むのではなく、家族がゆったりと語りあう本当の団欒を、労働者自身の努力でつくつていかなければなりません。

アルコール依存症の自己診断
https://condition-info.com/alcohol/2019/02/25/%e3%82%a2%e3%83%ab%e3%82%b3%e3%83%bc%e3%83%ab%e4%be%9d%e5%ad%98%e7%97%87%e3%81%ae%e8%87%aa%e5%b7%b1%e8%a8%ba%e6%96%ad/
アルコール症の治療
https://condition-info.com/alcohol/2019/03/04/%e3%82%a2%e3%83%ab%e3%82%b3%e3%83%bc%e3%83%ab%e7%97%87%e3%81%ae%e6%b2%bb%e7%99%82/

アルコール依存症

覚醒剤やシンナーなどの依存もありますが、ここでは、きわめて一般的なアルコール存症についてです。なお、アルコール依存症は、従来の精神医学では、「アルコール中毒」、あるいは「アルコール嗜癖」と呼称されていました。

それが、「アルコール依存症」ということが一般的になった背景には、こうした社会的状況があったと考えられます。

しかし、アルコール(他の薬物も同じであるが) は、薬物であり、依存するという心理的側面以上に薬理学的な人体への反作用もあるので、最近は改めて「アルコール嗜癖」という呼称が復活しっつあります。

一般的に、依存は、身体依存と精神依存とに分けられますが、アルコール依存は、両方とも起きやすい特徴があります。

身体依存は、離脱症状群(いわゆる禁断症状) などで、だれが見てもわかりやすい。精神依存というのは、買い物依存症やパチンコ依存症と同じで、お酒がないと「落ち着かない」「探し出すまで、騒いでいる」などの薬物探索行動というような状態になります。

精神依存とはいっても、純粋に心理学的ということはありえず、脳内報酬系(脳内ホルモンの分泌の変動が心理を刺激しているという生理学的研究にもとづいています。

パチンコ依存症などでも、「フィーバー(大当たり)」のときに、ベータ・エンドルフィンが異常に増加するという報告などもある) などの身体的な条件をともなっています。
つまり、精神依存症は、現象的に身体依存と区別していますが、身体依存と連続しているものです。

アルコールに対して精神依存の状態にある人は、数えられないくらい大勢います。飲酒は、ふつう、機会性飲酒と習慣性飲酒とに分けられます。

機会性飲酒とは、友だちに会ったときなどにたまたま飲む人のことです。習慣性飲酒とは、「積極的に飲む機会をつくる」「ひとりでも食事のときに飲む」「飲む食事が、飲まない食事よりも自然」というような人です。

後者は、すでに精神依存です。精神依存の状態であっても、たとえば、夜勤とか飲んではいけない状況ではでがまんできるとか、医師から禁止されたときはやめることができるとか、自制(自立) できれば、問題ないのです。

それが、「かくれて飲酒する」「(量などの)ウソをつく」「(飲まないと) 眠れない」などの症状にいくと、精神依存も身体依存に近くなってるのです。

アルコールは、世界中がそうであるが、人間関係を円滑にするとか、お祝いごとを高揚させるとか、悲しみを癒すとか、その効用は限りありません。
しかし一方では、きわめて安上がりのレクリエーションの手段でもあります。さらに、商業主義によってつくられた飲酒文化は、大量飲酒、習慣性飲酒をつくりあげています。だから、当然のこととして、日本にもアルコール依存症患者は多いのです。240万人くらいといわれていますが、実数は把握できていません。

精神依存は、社会的にやむをえないだろうとされる飲酒行動との境界線は、あってないようなものだからです。少なくとも次のような状態におちいっている場合は、「アルコール依存症」と考え、依存から脱出することを考えなければ危険です。

  1. 飲酒によって、交通事故をおこす、職場を休む、仕事をためてしまう、人との約束を守れないなどの社会的行動に障害があらわれていること。
  2. 内科などで、慢性疾患が指摘され、その病気の発症及び経過にアルコールが影響していると、医師が告げたとき。
  3. 離脱症候群(いわゆる禁断症状)を経験したとき、物忘れ、妄想などの出現したとき。

依存からの脱出とは、節酒あるいは断酒です。依存症になってしまった人は、基本的には節制、自制ができなくなってしまった人ですから、節酒というのは現実的にはほとんど考えられないでしょう。したがって、依存からの脱出は、断酒することと同じです。
2週間の禁酒が脂肪値を半分になども励みになるかもしれません。

アルコール依存症スクリーニングテスト

ここ半年以内に次ぎのようなことがありましたか?

お酒が原因で大切な人との間に日々が入った
  • はい(3.7)
  • いいえ(-1.1)
今日は飲まないと決めても飲んでしまう。
  • はい(3.2)
  • いいえ(-1.1)
周囲の人から酒飲みと避難されたことがある
  • はい(2.3)
  • いいえ(-0.8)
適量でやめようと思ってもつぶれるまで飲んでしまう
  • はい(2.2)
  • いいえ(-0.7)
酒を飲んだ翌日に前日のことをところどころ覚えていない
  • はい(2.1)
  • いいえ(-0.7)
休日は朝から飲んでいる
  • はい(1.7)
  • いいえ(-0.4)
二日酔いで仕事を休んだり予定をキャンセルしたことがある
  • はい(1.5)
  • いいえ(-0.5)
糖尿病、肝臓病、心臓病、腎臓病と診断されている
  • はい(1.2)
  • いいえ(-0.2)
酒がきれたときに汗がでたり、イライラしたりする
テキスト
  • はい(0.8)
  • いいえ(-0.2)
商売上、仕事上飲むことがある
  • はい(0.7)
  • いいえ(-0.2)
酒を飲まないと寝付けない
  • はい(0.7)
  • いいえ(-0.1)
酔うと怒りっぽくなる
  • はい(0.0)
  • いいえ(0)

判定

  • 2点以上(きわめて問題が多い)
  • 0~-5点(まままあ正常
  • 2~0点(問題あり)
  • -5点以下(全く正常)

アルコール依存症の教科書はこちら。

家庭文化のあり方

B んは、テレビゲームに夢中です。朝の掃除、洗濯をそそくさと終わらせて、テレビゲームの前に座ります。ドキドキしてくるという。ゲームのスピードに乗ってくると、どんどん高揚してくるのがわかります。

「だれか、止めてっ!!」と叫びたくなるときがあるのだそうです。

Cさんは、パチンコ依存症です。あの店の中にいると気持ちが静かになるというのです。音はまったく気になりません。街を歩いていると、人の話し声や人の視線などで疲れるけれど、店に入ったとたんに、気持ちは洗われて静かになるのだそうです。

このBさん、Cさんも、家族全員でつくる家庭文化というものを知らないまま、ひとりで自分の心を満たすものを求めて、結局、テレビゲームやパチンコという商業主義的な遊びの機械に依存してしまっているのです。

一生懸命、妻子のために働いているのだと主張する夫たちも、「仕事中毒」とか「ワーカホリック」とかいわれます。やはり、自らを全面的に発達させるように自分の生活を管理するのではなく、もちろん、仕事に「依存」しているというわけです。

「仕事中毒」といわれる労働者たちも、好きこのんでそうしているのではないと訴えるでしょう。「会社のため」「自らの生活のため」と。それぞれの胸には必然的な理由があるのでしょう。

しかし、客観的にみて、彼らはこの社会の競争原理を自らの生活信条としてうけいれ、時間のストレスのなかで、仕事に没頭することで、むしろ快感を感じる「依存」の心理的枠組みのなかに自分をおいたことは確かなのです。

彼らの意識は、この現代社会のなかで育まれ、そして、少年期、青年期を通じて修正されないできたものなのです。

彼らは、今、気づくべきなのです。自分の生き方のすべてが、この消費文明の高度の段階にあって、自立的でなくなっているのです。
そして、労働時間の短縮と家庭文化の復活を要求しなければならないと思うのです。現代社会が、依存を生みやすい社会であり、実際に依存行動がいろいろの形で現われていることを述べてきたわけですが、依存もその対象が薬物である場合は、その薬理作用もくわわるので、その結果はいっそう困難になるのです。