アルコール依存症

覚醒剤やシンナーなどの依存もありますが、ここでは、きわめて一般的なアルコール存症についてです。なお、アルコール依存症は、従来の精神医学では、「アルコール中毒」、あるいは「アルコール嗜癖」と呼称されていました。

それが、「アルコール依存症」ということが一般的になった背景には、こうした社会的状況があったと考えられます。

しかし、アルコール(他の薬物も同じであるが) は、薬物であり、依存するという心理的側面以上に薬理学的な人体への反作用もあるので、最近は改めて「アルコール嗜癖」という呼称が復活しっつあります。

一般的に、依存は、身体依存と精神依存とに分けられますが、アルコール依存は、両方とも起きやすい特徴があります。

身体依存は、離脱症状群(いわゆる禁断症状) などで、だれが見てもわかりやすい。精神依存というのは、買い物依存症やパチンコ依存症と同じで、お酒がないと「落ち着かない」「探し出すまで、騒いでいる」などの薬物探索行動というような状態になります。

精神依存とはいっても、純粋に心理学的ということはありえず、脳内報酬系(脳内ホルモンの分泌の変動が心理を刺激しているという生理学的研究にもとづいています。

パチンコ依存症などでも、「フィーバー(大当たり)」のときに、ベータ・エンドルフィンが異常に増加するという報告などもある) などの身体的な条件をともなっています。
つまり、精神依存症は、現象的に身体依存と区別していますが、身体依存と連続しているものです。

アルコールに対して精神依存の状態にある人は、数えられないくらい大勢います。飲酒は、ふつう、機会性飲酒と習慣性飲酒とに分けられます。

機会性飲酒とは、友だちに会ったときなどにたまたま飲む人のことです。習慣性飲酒とは、「積極的に飲む機会をつくる」「ひとりでも食事のときに飲む」「飲む食事が、飲まない食事よりも自然」というような人です。

後者は、すでに精神依存です。精神依存の状態であっても、たとえば、夜勤とか飲んではいけない状況ではでがまんできるとか、医師から禁止されたときはやめることができるとか、自制(自立) できれば、問題ないのです。

それが、「かくれて飲酒する」「(量などの)ウソをつく」「(飲まないと) 眠れない」などの症状にいくと、精神依存も身体依存に近くなってるのです。

アルコールは、世界中がそうであるが、人間関係を円滑にするとか、お祝いごとを高揚させるとか、悲しみを癒すとか、その効用は限りありません。
しかし一方では、きわめて安上がりのレクリエーションの手段でもあります。さらに、商業主義によってつくられた飲酒文化は、大量飲酒、習慣性飲酒をつくりあげています。だから、当然のこととして、日本にもアルコール依存症患者は多いのです。240万人くらいといわれていますが、実数は把握できていません。

精神依存は、社会的にやむをえないだろうとされる飲酒行動との境界線は、あってないようなものだからです。少なくとも次のような状態におちいっている場合は、「アルコール依存症」と考え、依存から脱出することを考えなければ危険です。

  1. 飲酒によって、交通事故をおこす、職場を休む、仕事をためてしまう、人との約束を守れないなどの社会的行動に障害があらわれていること。
  2. 内科などで、慢性疾患が指摘され、その病気の発症及び経過にアルコールが影響していると、医師が告げたとき。
  3. 離脱症候群(いわゆる禁断症状)を経験したとき、物忘れ、妄想などの出現したとき。

依存からの脱出とは、節酒あるいは断酒です。依存症になってしまった人は、基本的には節制、自制ができなくなってしまった人ですから、節酒というのは現実的にはほとんど考えられないでしょう。したがって、依存からの脱出は、断酒することと同じです。
2週間の禁酒が脂肪値を半分になども励みになるかもしれません。

アルコール依存症スクリーニングテスト

ここ半年以内に次ぎのようなことがありましたか?

お酒が原因で大切な人との間に日々が入った
  • はい(3.7)
  • いいえ(-1.1)
今日は飲まないと決めても飲んでしまう。
  • はい(3.2)
  • いいえ(-1.1)
周囲の人から酒飲みと避難されたことがある
  • はい(2.3)
  • いいえ(-0.8)
適量でやめようと思ってもつぶれるまで飲んでしまう
  • はい(2.2)
  • いいえ(-0.7)
酒を飲んだ翌日に前日のことをところどころ覚えていない
  • はい(2.1)
  • いいえ(-0.7)
休日は朝から飲んでいる
  • はい(1.7)
  • いいえ(-0.4)
二日酔いで仕事を休んだり予定をキャンセルしたことがある
  • はい(1.5)
  • いいえ(-0.5)
糖尿病、肝臓病、心臓病、腎臓病と診断されている
  • はい(1.2)
  • いいえ(-0.2)
酒がきれたときに汗がでたり、イライラしたりする
テキスト
  • はい(0.8)
  • いいえ(-0.2)
商売上、仕事上飲むことがある
  • はい(0.7)
  • いいえ(-0.2)
酒を飲まないと寝付けない
  • はい(0.7)
  • いいえ(-0.1)
酔うと怒りっぽくなる
  • はい(0.0)
  • いいえ(0)

判定

  • 2点以上(きわめて問題が多い)
  • 0~-5点(まままあ正常
  • 2~0点(問題あり)
  • -5点以下(全く正常)

アルコール依存症の教科書はこちら。

家庭文化のあり方

B んは、テレビゲームに夢中です。朝の掃除、洗濯をそそくさと終わらせて、テレビゲームの前に座ります。ドキドキしてくるという。ゲームのスピードに乗ってくると、どんどん高揚してくるのがわかります。

「だれか、止めてっ!!」と叫びたくなるときがあるのだそうです。

Cさんは、パチンコ依存症です。あの店の中にいると気持ちが静かになるというのです。音はまったく気になりません。街を歩いていると、人の話し声や人の視線などで疲れるけれど、店に入ったとたんに、気持ちは洗われて静かになるのだそうです。

このBさん、Cさんも、家族全員でつくる家庭文化というものを知らないまま、ひとりで自分の心を満たすものを求めて、結局、テレビゲームやパチンコという商業主義的な遊びの機械に依存してしまっているのです。

一生懸命、妻子のために働いているのだと主張する夫たちも、「仕事中毒」とか「ワーカホリック」とかいわれます。やはり、自らを全面的に発達させるように自分の生活を管理するのではなく、もちろん、仕事に「依存」しているというわけです。

「仕事中毒」といわれる労働者たちも、好きこのんでそうしているのではないと訴えるでしょう。「会社のため」「自らの生活のため」と。それぞれの胸には必然的な理由があるのでしょう。

しかし、客観的にみて、彼らはこの社会の競争原理を自らの生活信条としてうけいれ、時間のストレスのなかで、仕事に没頭することで、むしろ快感を感じる「依存」の心理的枠組みのなかに自分をおいたことは確かなのです。

彼らの意識は、この現代社会のなかで育まれ、そして、少年期、青年期を通じて修正されないできたものなのです。

彼らは、今、気づくべきなのです。自分の生き方のすべてが、この消費文明の高度の段階にあって、自立的でなくなっているのです。
そして、労働時間の短縮と家庭文化の復活を要求しなければならないと思うのです。現代社会が、依存を生みやすい社会であり、実際に依存行動がいろいろの形で現われていることを述べてきたわけですが、依存もその対象が薬物である場合は、その薬理作用もくわわるので、その結果はいっそう困難になるのです。

買い物依存症「Aさんの例」

30歳の専業主婦Aさんの例
子どもは、ひとりつ子の小学4年生の子がいる。Aさんは、日中は暇で、時間をもてあましています(消費文明は、家事すら機械化してしまったことによる)。

夫は、仕事人間。妻とゆっくり夜を過ごすことを考えられません。帰宅してもニュースやスポーツニュースを見るだけです。家庭文化をつくる努力がされていません。

たしかに、多くの家庭で、夜の団欒といえば、みんなでテレビをみることぐらいになってしまっています。
時々、夫婦ゲンカになる。とくに、Aさんの月経前でイライラしやすいときに、夫が酔って夜中に帰ってくるなどということになると、大ゲンカになります。

Aさんは、「私の寂しさはわかる? 」と訴えます。夫からみれば「こんなに楽をしていて、なんとぜいたくなことをいうのか」と反論。

ここには、2人で必死で生活をつくつていこうという生活感はありません。たしかに、2人にはローンを抱えているとはいえ、十分なお金はあるのです。
生きるために必死に力を合わせるという切迫感のない人工的なマンションのなかで、2人の心はよりそえないのでしょうか?

夫は、「オレが身を粉にして働いて、こんなぜいたくをさせている。何の文句があるのか!」と、経済的豊かさを強調します。イライイラしているAさんは、「あなたがその気なら、お金を使ってやる!」と宣言。

それから先は水かけ論になるのは当然です。

しかし、Aさんは、翌日おしゃれをしてデパートへ出かけ、怒りながら洋服売り場をみて歩いています。今日は、絶村に買うと決めているのです。

でも、ゆったりと楽しんでいるのではなく、何かにつかれたようです。そして、30万円ぐらいの買い物をして、Aさんは、やっとスッと肩の力がぬける思いがするのです。

30万円といっても、現金が出たわけではありません。Aさんも、金額を考えないわけではないのです。しかし、月々2万円程度払っていけばいいんだから、なんとかなるはず。「毎日、こんなことをするわけではない。今日は、夫にみせしめなんだ」と自分に納得させて、買ってしまったのです。

家に帰って、鏡の前で、Aさんは満足でした。このときの1回だけであれば、依存症とはいえないわけですが、Aさんは、その後、心の中が満たされない感じで、イライラすると、また出かけたくなってしまいます。

「今日は、ウインドウショッピングだけ」と、出かけるときは誓うのですが、気にいったものがあると、いつの間にか買ってしまっている自分を発見するのです。

Aさんも、出かける前は「見るだけ」と決心するし、後で後悔することも多いのですが、それでも、売り場につくと何かを探しているのです。

夫は、Aさんの行動からはまったく気づいていませんでした。前よりAさんの不機嫌が長くなくなったなという程度にしか理解していませんでした。

しかし、あるとき、カードの支払通知書をたまたま見ておどろきました。「これでは生活費がなくなる」と、驚いてA さんを問い詰めたところ、買い物をいっぱいしていることがわかったのです。

押入れや洋服ダンスは、まだ着ていないスーツや小物、日用雑貨などがあふれるくらいに入っていたのです。Aさんは、まだサラ金を利用していなかっただけよい方ともいえます。

とはいえ、これから500万円ぐらいは払っていかねばならない現実が待っています。Aさんは、今は、心から反省しているのですが、しかし、満ち足りていないのです。

そしてむなしい気持ちはやはり消えていません。夫も、妾の訴えを、ただ反論するだけでは解決しない深いものだと知って、家庭での時間を大切にしようと努力していますが、本当のところは、まだAさんとはしっくりいかないのです。

このAさんのケースなどは、現代社会の消費文明の究極の姿のよです。

Aさん夫婦には、共有する家庭文化がないのです。A さんは、時間がありすぎ、夫は、時間がなさすぎるのです。Aさんの夫のような男性は決して少なくないのです。
Aさんのように「買い物依存症」になる人は多くはないにしても、パチンコなどのギャンブルに凝っているいる女性や、時間が余るから気分転換にパートに出ているなどという人もけっこういるようです。