死から逃げる気力さも失っている

生命力が低下してしまった人は、あまりにも多くの悲しみや苦しみを心の底に堆積し続けて生きてきました。孤独や不安や息詰まる緊張に耐えた長年の疲労が頂点に達しているのです。

長年にわたって時間に追われ、焦り、緊張して生活をしてきました。幸せを感じる能力はすでに麻痺しています。

もう何を言われても動けないのです。長いトンネルの先に明かりは見えません。

生命力の豊かな人は晴れた日に散歩をすれば気分がいいでしょう。しかし生命力の低下した人に、「散歩でもしてきたら」と言うのは無慈悲です。生命力の低下した人には散歩に出ようとすること自体がきついのです。

そして気分の良さを味わう能力そのものを失っているのです。うつ病者が何もしないでいることの原因について色々と解釈されます。

たとえば悲観的に物事を解釈するからであるとか、否定的に物事を見るからとか。うつ病者は将来を悲観的に解釈するから、何かをいまする気が起きないのだとか、うつ病者は自分自身をダメな人間と解釈するから、何かをいまする気が起きないのだとか、うつ病者は自分の条件をマイナスに解釈するから、何かをいまする気が起きないのだとかいいます。

おそらくそれらの解釈は部分的にはあたっているのでしょう。しかしうつ病者が何かをいまできないのは、基本的に生命力が衰えているからです。

そのままにしていれば死んでしまうという時に、生命力の豊かな人は逃げます。生き延びようとします。しかし生命力の低下した人は逃げないのです。

もう逃げる気力がないということです。逃げる気力がないからそのまま死を選びます。死を選ぶというより、選択する気力もなく、死んでいくのです。

生命力が衰えているということは、「もう生きなくてもいい」のです。もちろんできれば生きたい、しかし誰かが助けてくれるのでなければもう生きてはいけないのです。

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