つまり搾取されている時に、人は搾取されているという実感を持たないのかもしれません。逆に自分を搾取している人を、「その人なしに生きることはできない」と錯覚してしまうのです。
人は搾取される度に、自分を頼りなく感じるようになる。自分は誰かが側にいないと生きていけないように感じてしまうのです。
誰かと「つるんでいなければ」生きていけないように感じるのです。その側にいる人が自分を搾取する人であっても、その人がいるから生きていけると錯覚します。搾取されてしまうと、搾取されることが当たり前のことと感じ始めてくるのです。
そこが恐ろしいことなのです。相手に貢ぐだけの関係なのに、相手がいなければ自分は生きていけないような錯覚に陥ってしまいます。
人はいまあるものが何であれ、それがなくなると思う時、不安に陥ります。別れてみれば、「なんであんな奴に迎合していたのだろう」と驚くことも多々あるのですが、迎合して貢いでいる時には、それに気がつかないのです。
貢げば貢ぐほどそれが当たり前のことになります。貢げば貢ぐほど自分が頼りなくなってきます。
それはアメリカの偉大な精神医学者カレン・ホルナイがいうように、不安から人に迎合すれば、その結果は頼りなさです。迎合すると何となく自分が頼りなくなって、その相手がいないと生きていけないような錯覚に陥ってしまいます。
自分にとって何のメリットもない人に迎合します。その人とつきあうことは自分にとってデメリットだけという人でも、いったん迎合してしまうと、その人が強い人に感じはじめます。
「相手に対する自分の行動が、相手をどう思うかを決める」というアメリカの精神分析医ジョージ・ウェインバーグの言葉はそのとおりです。
客観的に見れば、相手は強くない人です。しかし自分が迎合すると、相手が強い人に感じられてきます。自分が相手にどういう態度をとるかで、相手がどういう人に感じられるかが決まってしまうのです。