親が色あらゆることをします。でも、それはすべて子供の反応を期待しているからです。だから、子供は親の期待する反応をしなければいけません。
これによる子供の心の傷は想像を絶するほど大きいものとなります。放任されて育った子供はまだマシです。親の愛はゼロだからです。しかし愛を与えられるのが自然な時期に、逆に愛を搾り取られてしまう悲劇は、人間の想像力を超えるものとなります。憎しみの感情が心の底に堆積し続けてしまいます。
それよりも大きな悲劇は、この「親子の役割逆転」に苦しめられた子供の心の傷は、多くの場合、周囲の誰からも理解されないということです。
というのは、「親子の役割逆転」をしている時には、外から見るとその親子関係はうまくいっているように見えるからです。そして、「あのように立派なご両親の元で」となりかねないのです。
事実、「親子の役割逆転」をして、子供から愛を搾取している親が、社会的には立派に職責を果たしているケースも多々あります。
地域社会の模範的な家庭から政治的過激集団に入る兄弟が出る場合があります。3人の兄弟がすべて入った例もあります。
彼らは社会に向かって鉄砲を撃ち続けることで憎しみの感情を吐き出しているのです。吐き出すことで自分の心を癒しているのです。心の傷を癒そうとした時に、暴走が始まります。
心に傷のないものがどうして暴走などするものでしょうか。しかしそのような犯罪を犯せない抑制型の人は、その憎しみの感情を吐き出す機会がありません。そういう人は心の葛藤でエネルギーを消耗する。生きることに疲れる人はこのタイプです。
「親子の役割逆転」という形で、親から愛を搾取されている間に、子供は敵意、憎しみ、恐怖、恨み、不安と、あらゆるマイナスの感情を心の底にためてしまいます。それが大人なってからその人を動かします。それはもうどうしようもないものです。
雨が天から降るように、どうしようもないものです。それを抑えればうつになるしかないでしょう。うつになる以外に生きる方法はありません。
愛されて育った人にこの気持ちを理解してくれと言っても無理な話です。生きることに疲れた人は、なぜ生きることに疲れたのかをなかなか理解してもらえないのです。