また、うつ病者の感情として、これらの他によくいわれるのが、「立ちあがれない」です。それは自分の人生の目的がなくて、まわりから振り回されて生きてきたからです。
自分の人生の目的があって頑張ってきたなら、失敗しても「立ちあがれない」という気持ちにはなりません。たとえ失敗しても自分の人生を生きたという充足感はあります。社会的に成功しながら、ある年齢でうつ病になる人がいます。
俳優として成功したり、司会者として有名になったりしても、おそらくそれが自分自身の目的ではなかったのでしょう。そういう人は社会的に成功しながらも心の底に深い絶望感があるに違いいありません。社会的に成功し、有名になりたいのは、愛を求めているからです。そして有名になりたかったから、有名になったことで嬉しかったでしょう。
しかしその人本来の仕事はたとえば司会者ではなかった。だからある年齢になるとうつ病になるのです。司会そのものが好きであれば、テレビに出られなくても、楽しい仕事は見つかるはずです。
しかし司会そのものが好きではなく、テレビで有名な司会者になることが目的であれば、テレビの仕事が終わった時には、あとに何も残されていません。
自分自身の目的がなくて長いこと生きてきたから、心の中が空っぽなのです。医者になったのも、部長になったのも自分の目的ではありません。周囲のなんとはなしの期待からそうなっただけです。
望みそのものがその人自身のものではなかった。うつ病になるような人は長いこと頑張って生きてきたが、振り返ってみれば自分の心の中は空っぽなのである。そこには達成感も、満足感も、連帯感もないのです。まさにうつ病者は空虚そのものです。
外側がどんなにきらびやかであっても、うつ病者を表すのは「空虚と憎悪」です。自分自身の目的を持った場合には、それが手に入っても手に入らなくてもうつ病者になることはないのではないでしょうか。そこには努力したあとの心の満足があります。そして周囲とコミュニケーションができるのです。