「母なるもの」を持った母親のもとに生まれた幸せな人は、簡単に「いまに生きましょう」と言います。しかし簡単にいまに生きられれば、誰だつていまに生きることになります。
いまに生きようとしてもいまに生きられないから嘆いているのです。
うつ病になるような人はとにかくいまを生きる気力、生産的に生きるエネルギーを奪われています。
ない袖は振れないという。いくら裁判で勝ってもお金のない者からお金は取れないというものです。そのような裁判で勝つことを英語では「Empty victory」といいます。いまを生きられない人は、満たされていない過去の欲求に支配されてしまっている人です。
過去のさまざまな感情を抑圧している人は、なかなかいまを生きらることできません。「いまを生きる」とは、いまの静けさを味わいなさいということです。自然の昔を聞きなさいということです。
「心ここにあらざれば、見れども見えず、聞けども聞こえず」になります。だから心をいまここに置きなさいということです。
いまを生きれば聞こえてくるものがあります。匂ってくるものがあるのです。「いまを生きよ」とはいまに反応せよということです。
いまの雨の音に聞き入れということです。いま晴れた空の下にいるなら、その晴れた空の澄み切った空気を味わいなさいということです。
それができないのは、心の底に憎しみがあるからです。その過去に引きずられます。いまが不幸な人は過去に生きています。生きることに疲れた人が、独りの世界に入ってしまうのは、心の底に憎しみがあるからです。
脳と行動の研究をしているアメリカのアーメン博士によると、過去の心の傷に捕らわれている人は脳のシングラートという部分が正常に機能していないといいます。ただ問題はなぜそれが正常に機能しないかということです。私は憎しみが原因だと思っています。