もちろんあなたがそうした理由は分かる。他の個所でも書いたように、あなたは淋しいから、愛情飢餓感から人に気に入られようとしたのです。気に入られるために自分を出さなかった…というよりいや出せなかったのでしょう。
生きることに疲れたあなたが、かろうじて自分を出す時には、何かにかこつけて自分を表現してきました。
たとえば、憎しみをストレートに表現できないから、正義を主張することで憎しみを吐き出そうとします。正義を主張しないと、自分の怒りを表現できないから、正義を主張していただけではないでしょうか。
正義を主張する人がどうして日常生活がごまかしに満ちているのでしょうか。
戦争反対の正義を叫ぶ人の中に、隣人に冷たい利己主義者がいないだろうか。家族をほったらかしにして真理を叫んでいる人がいないでしょうか。正義や真理を唱えている人が、いかに実際の日常の隣人の心を傷つけていることでしょう。
彼らは正義とか真理とかを持ち出して、自分の怒りや憎しみの感情を表現しているのです。「人類を愛することはやさしいが、隣人を愛することは難しい」という格言にならって言えば、「正義を唱えることはやさしいが、人の幸せを喜ぶことは難しい」のです。正義や真理を唱えている人の中に、人の不幸にホッとした安らぎを感じる人がいるのは、彼らの心の底に憎しみがあるからです。
そういう人は、そのままでは自分の感情を表現できない弱さがあります。その弱さの実体が幼児的願望です。幼児的願望が満たされない愛情飢餓感です。