人は、「あなたはなぜあるものを見ないでないものばかり見るのか」と言います。しかし「これがない」と言えるかぎり相手を責めることができるのです。
「私は苦しい」と訴えることで心の底にある憎しみを晴らしている以上、「私にはこれがある」と言ってしまったらもう心の底の憎しみを晴らせなくなってしまうのです。彼らは自分が不幸せの中にいることで心の傷が癒されています。
これはもともと楽天的な気質を持って生まれ、愛された人にはなかなか想像ができません。だから他の個所で述べたごとく、うつ病者は「皆が楽しくしていると心が暗くなる」のです。
周囲の人の幸せと自分の不幸は正比例してしまうのです。だから周囲の人の不幸が嬉しいのです。人が幸せになるためには、憎しみの感情が取り除かれていなければなりません。
しかし憎しみの感情はなかなか取り除かれることはありません。憎しみは怒りの感情のように一時的なものではなく、長年の積み重ねから生じているからです。
根雪のようにしっかりと地面に凍りついているのです。人は社会的経済的な要因による不幸に対しては、それを乗り越えるために闘えます。
しかし心の底の憎しみのように、心理的な原因による不幸とはなかなか闘えないのです。人を動かすもっとも大きなものは、フロイトの言う「セックス」でもなく、アドラーの言う「劣等感」でもなく、「憎しみ」です。そしてそれは幼児的願望が生みだしたもので間違いありません。