子供は親に認めて欲しい

生きることに疲れた人は、人に認めてもらおうと無理をして頑張りすぎた結果です。人は、周囲の人から「認めてもらいたい」という欲求の強さで生き方を間違えてしまいます。

「認めてもらいたい」という欲求は、幼児期に愛されなかった人間には想像を絶するほど強いものです。普通の子供でも、何よりも望んでいるのは「思いやり」ではないのです。自分のしたことを「認めて」ほしいのです。

たとえば子供が母親に、「お母さん、荷物が重いでしょ。一緒にお使いに行ってあげる」と言ったとします。

母親は子供が遊びたいのに、お使いに連れて行くのは可哀想だと思って、「いいわよ、お母さん1人で行くから」と言いました。ところが子供は不愉快そうな顔をしました。母親は子供が遊びたいだろうと思って、「いいわよ、お母さん1人で行くから」と言ったのです。

それなのに子供はふてくされてしまいました。母親はとまどいました。子供は母親の役に立ち、認められたかったのです。

お使いに行って、母親から、「助かったわー」と言ってもらいたかったのです。そういう感謝の言葉を言ってもらえることが嬉しいのです。子供は、「お使いに行ってあげる」という自分の気持ちを感謝してもらいたかったのです。

ところが母親は「自分1人でいい」と言いました。子供は役に立つ機会を失った上に、母親から感謝をしてもらえないし、お使いに行くことで「認めてもらおう」としたが、それもできなくなつたのです。子供が面白くない顔をするのは当たり前なのです。

子供は親に何かをしてもらうことはたしかに嬉しいものです。保護を求めているし、世話をしてもらいたいのです。しかし、それ以上に求めているものが「自分のしたことを認めてほしい」ということです。

うつ病者も自分が「役に立っている」と感じる時には気分が好調です。子供は自分のしたことを「わー、すごい」と認めてほしい時に、認めてくれないと悔しいし、面白くないのです。不愉快です。相手を憎む。投げた石が木に命中した時に「わー、すごい」と認めてほしいのです。

しかし「お使いに1人で行く」と言った親は親で、子供のことを考えて言っているのにと子供のは不満に不満なります。あるいはそれ以外のことを含めて親として「こんなにしてやっているのに」と、子供の不満に不満になります。

不満になった子供だって親がしてくれたことは知っています。旅行に連れて行ってくれた、好きなお料理を作ってくれた、服を買ってくれた、病気の時に病院に連れて行ってくれた、お誕生会を開いて友達を呼んでくれた。しかしそれと「認めてほしい」という願望が満たされるか満たされないかは別の話なのです。子供は、何をしてもらっても親が「認めて」くれなければ不満です。

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