自分を抑えすぎるから、生きることに疲れる

生きることに疲れてしまったあなたは、長いことヘビが竹筒に入ってまっすぐに進むような生き方をしてきました。

他人がまっすぐ進むことを期待したからです。他人に気に入られようとしたからです。自分の感じ方よりも周囲の人の感じ方にあわせてきたのです。

そして「良い子」と言われてきました。生きることに疲れたあなたは周囲の人に受け入れられることがもっとも重要だったのです。

あなたは皆から「良い人」と言われてきましたが、それで何を得たのでしょうか?生きることに疲れただけです。

それに対して周囲の人はどうでしょうか。利己主義で、攻撃的で、欲得だけで生きている人がいるではありませんか。そういう人は生きることに疲れているのでしょうか。

あなたと同じように生命力が低下しているでしょうか。

もちろん、利己主義で攻撃的な人と同じようになれと言っているのではありません。あまりにも自分を抑えすぎたあなたと、あまりにもわがままな彼らとの違いを考えてほしいのです。

自分を抑えすぎたあなたは良い人と言われ、最後には生きることに疲れてしまったということです。

しかし、それに対してわがままで利己主義の彼らは生きることに疲れてはいません。いまも暴れ回つているのです。もちろん彼らはやがて周囲の人々から恨まれて社会的に孤立するでしょう。

歳をとった時には周囲に誰も親しい人はいない寂しい老後が待っているでしょう。それがあまりにも反社会的すぎた彼らの末路です。

しかし社会に過剰に適応したあなたは、何を得たのでしょうか。人に気に入られようとした結果、生きることに疲れてしまったのです。

人を信じなければ幸せになれない

では、真面目な人がなぜ幸せになれないのでしょうか。それは真面目な人が勘違いをしているからです。

真面目な人は、真面目でありさえすれば幸せが手に入ると思っています。それはデパートの前に開店前から並んでいれば商品をただでくれると思い込んでいるようなものです。

自分が開店前から並んでいるのに、後からきた人が商品を買っていくのを見て、「不公平だ」と嘆いているようなものです。

うつ病者は後からきた人がお金を払っていることに気づきません。うつ病者は自分がお金を払っていないから商品がもらえないのだと気がついていないのです。

このデパートの商品が「幸せ」です。真面目でありさえすれば幸せになれると思って真面目でいても、いつまでたっても幸せにはなれません。

真面目でも人を信じられなければ幸せにはなれないのです。愛を信じられなければ幸せにはなれない。人と親しくなれなければ幸せにはなれません。

真面目でも人とコミュニケーションできなければ幸せにはなれないのです。それらのことは心の底に憎しみがあったら無理でしょう。心がふれあえなければ幸せにはなれないのです。

真面目だけでは幸せにはなれないのです。

うつ病になるような人にいま大切なのは「自分を出すこと」です。うつ病になるような人は、長いこと自分の感じ方、自分の考え、自分の印象などを表現して人に好かれようと努力してこなかったのです。

人は自分を出してしまったほうが愛されます。しかし「適応した子供」は愛されるためにはお行儀よく振る舞うことだと思い込んでいます。

無理をしていない子供のほうが「子供らしい可愛さ」があります。そこで無理をしていない子供のほうが愛されます。それが素直さというものです。逆にいえば素直でなければ何をしても幸福にはなれないのです。

心に憎しみがあると他人に心を開けない

そして憎しみが心の底にあるからあなたは他人にはやさしくなれません。他人にやさしくなれないから結局は本当の友達もできないのです。これらのことが総合されて、人に対して心を開けないでいるのです。

そして真面目に生きてきたあなたはいま生きることに疲れています。もう何もする気もなくなっています。働くことも遊ぶことも億劫になります。

人と会うのも億劫になります。

していることは全部立派なのに生きることが辛く苦しい人はたくさんいます。しかも人から批判されてしまうのです。

こうなると、「こんなに真面目に生きているのに、なぜ批判されなければならないのか」。理解できません。日本の若者は世界の若者の中でもっとも不満だらけです。でもその内容は世界の若者の不滴とは異なります。

その不満はいまのあなたの不満と同じです。真面目に生きているのに報われないという不満です。