うつ病者自分の惨めさを訴えることに熱心

人は誰でも人を憎めます。しかし、人は誰でも人を愛せるわけではないのです。情緒的に未成熟な人は、憎むことはできるが、愛することはできないのです。情緒的に成熟した人だけが、人を愛することができます。

情緒的に未成熟な人ができることは、憎しみを抑圧することだけです。しかし、憎しみを抑圧しても、憎しみはその人の心から消えるわけではありません。表現されないので、その人の心の底に堆積していきます。

アメリカのABC ニュースが、朝のニュースで1週間うつ病特集をした時に、いくつか印象に残ったことがあります。1つは出てくる患者の中に、ものすごく元気に見える女性がいたことです。自分の惨めさを訴えるのですが、体は元気です。声に張りがあり、ものすごい憎しみや敵意で声を荒げます。

産後のうつ病の女性も同じです。要するに、彼らは何もしていないで自分の惨めさだけを訴えているから、肉体的には疲労困億しているようには見えません。

何もできないが、自分の惨めさを訴えることだけは能弁です。仕事は家事も、会社の仕事でもできないのです。

しかし、自分の惨めさを訴えることだけは、選挙演説のように精力的です。すべてのことに消極的で受け身ですが、惨めさを訴えることだけは積極的です。

「憎しみのエネルギー」である。彼らは、自分は惨めで、自分の人生は恵まれていないと思いこんでいるのでしょう。それは、彼らが、とにかく重荷を避けたことに1つの原因があるに違いないでしょう。「自己拡張型うつ病者」とでもいうのでしょうか。ではこの憎しみはどこから生まれてくるのでしょうか?