自分の不幸について、周囲の人に責任転嫁したい

もう1つの理由は、不幸を訴える人は、それによって周囲の人を責めているからです。何か良いことがありましたた。しかし周囲の人から「これであなたも幸せになれるでしょう」というような言い方をされると、彼らは面白くないのです。

彼はここで「私は幸せ」と言ってしまったら、もう周囲の人や自分の人生に不満を言えなくなつてしまうように感じるのです。

ある人は野原を渡ってくる風にあたって、「気持ちいいなー、幸せだなー」と思います。しかしうつ病になるような人は、たとえ「気持ちいいなー」と感じても、それで「自分は幸せだ」と感じることを拒否します。

「今日は晴れた、快適な気候だ、幸せだなー」とある人は感じる。しかしうつ病になるような人は、それを幸せと感じることを拒否します。つまり心の底の憎しみが消えていないから、「幸せ」とは言えないのです。

自分が幸せと認めたら、もう周囲の人を責められない。自分の不幸を誇示する人は、憎しみがあって人を責めているのです。

もちろん彼らは直接面と向かって相手を責めることはありません。しかし心の底で周囲の人を責めているのです。

自分の不幸について、周囲の人に責任をとってもらいたいのです。だから憎しみがある以上、どうしても自分が幸せとは認められないのです。うつ病になるような人やノイローゼの人が不幸な状況にしがみつくのは、それによって人を責めて憎しみを晴らそうとしているからです。周囲の人が、「あなたはこんなに色々と持っているではないか」と言っても不幸にしがみつくのは、憎しみがあるからです。

いま幸せになったのでは憎しみの感情が晴らせないからです。周囲の人は、彼が復讐的になっていることを認識していません。周囲の人は、彼が自分の運命や世の中や人々に復讐しようとしていることが理解できていないのです。

不幸を嘆いている人も幸せになりたいという気持ちはあります。しかしそれ以上に憎しみの感情が強いのです。

幸せになったら憎しみは晴らせません。幸せになるよりもまず「この憎しみの感情」を晴らしたいのです。

憎しみを持った時に直接相手を攻撃し、復讐の行動に出る人がいます。そういう人は案外簡単に憎しみの感情を晴らします。根には持たない。しかし憎しみの行動に出られない人は、不幸にしがみつくのです。「私は不幸だ」「私は苦しい」という訴えは周囲に対する憎しみを表現した言葉なのです。

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