憎しみを表現できない不快感が積み重なり、それがいつしか憂うつに変化していきます。それがどうすることもできない憂うつな感情です。
憂うつは愛を求めている叫びですが、同時に表現されない憎しみの感情でもあるのです。憂うつな感情に苦しめられている人が、晴れ晴れしないというのはそのためです。
愛を求めつつ、憎しみを持ちます。憂うつはまさにうつ病者の感情的特徴です。
憂うつになっている人は愛を求めています。「苦しいのね」「辛いのね」とやさしく言ってくれる人を求めているのです。
それを普通の人は憂うつになっている人を見て「善意」から励ましてしまいます。「今日は晴れているから、ジョギングでもしてきたら」と言ってしまいます。
しかし、憂うつになってじっと座っている人は愛を求めているので、スポーツをして汗を流すことを求めているのではありません。普通の人はスポーツをして汗を流せば気分爽快になります。
それは心の底に憎しみがないからです。憂うつになっている人は、「なぜ自分だけがこうなんだ」という無念の気持ちをくみとってくれる人を求めているのです。
憂うつになってじっと座っている人だって、好きこのんでじっと座っているわけではありません。
どうにもならなくて座っているのです。動こうにも動けないのです。憂うつな人にとって、憂うつになつてじっと座っていることが一番楽なのです。それは憂うつになっていることで、一番感情表現ができているからです。
憂うつな人は感情表現ができない人です。じっと座って憂うつな顔をしていることが憂うつな人の感情表現なのです。