あなたが気に入られようとして身を削って生きてきた、その人はいまのあなたに何か助け船を出そうとしてくれているでしょうか?
その人に気に入られたいと無理をして嫌なことをしてきました。その人に気に入られたいと体に鞭を打って消耗しました。その人は溺れかかっているあなたに何かをいましてくれているでしょうか。
あなたが入学して喜んだ学校が、あなたが入社して得意になつた会社が、生命力の低下したあなたに、いま何か救助の手をさしのべてくれているでしょうか。
具体的なことをいっているのではありません。それらが心の支えになっているだろうかということです。
苦しい時に、何の心の支えにもならない学歴や職歴を得るために、あなたはどれほど努力してきたことか…。
愛情飢餓感が強ければ人は周囲に迎合します。それが人間の本性です。しかしそれが人間の本性でも、いまあなたはその迎合の無意味さを心底味わったのです。
嫌われるのを恐れてあなたは「好きです」と言ってきたのです。自分が嫌われないためにこういう迎合をして生きてきたのです。
「お茶、飲む? これおいしいのよ」と相手が言います。本当は飲みたくない。でも「飲みたい」と言ってきたのです。
すすめてくれたケーキは嫌いだけれども、「好きよ」と言うのが、あなたの日常生活だったのです。
辛い思いをして迎合しても、その人たちは苦しい時に誰も助けてくれません。あなたはいま心底体験でそのことを知ったのです。生命力の低下したあなたを理解してくれる人はいま周囲に誰もいないのです。
その周囲にあなたは迎合して生きてきたのです。生命力の低下したいまこそ、人生というものはこういうものだと理解する時なのです。
生きることに疲れた時、それは自分を理解する時です。生きることに疲れたあなたは、それを理解するためにいままで辛い人生を生きてきたのです。
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