ストレスと病気

ストレスとは、心身におこる「ひずみ」のことですから、当然、心身の不健康状態を引きおこしてしまいます。たとえば、「心配で眠れない」とか「イライラして、考えがまとまらない」、「食欲がなくなくなる」とか、まさに心身が健康でなく、ひずんでしまうわけです。

このストレス状態が、逃げることもできずずっとつづくようであれば、それは耐えがたい健康障害といってよいでしょう。しかし、たとえば「心配で眠れない」「もう乗りこえられないのではないか」というストレスがつづいても一生懸命取り組むことで事態が改善して、ストレスを乗りこえることができたとしたならば、そのつらかったストレスは、「苦労したけれどがんばってよかった」という充実感・達成感・自己肯定感などによって置きかわり、不健康状態は、吹っとんでしまいます。

このような場合を考えてもわかるように、ストレスは、上手に乗りこえられれば(あるいは乗りこえられるようになるものであれば)、かならずしも不健康とは結びつかないのです。だから、人間は、ストレスから逃げてしまうよりもたたかうことを選ぶことが多いのだ。そして、「仕事をなしとげた」とか「疲れるけれど、生きがいがある」とか、人生の意義を感じることができるのです。

時間のストレスの緩和が病気を半減させる

しかし、現代の日本の社会は、ストレスを乗りこえる時間的な余裕、ストレスを乗りこえた達成感を味わう余裕のない状態であると言っていいでしょう。

つまり、「時間のストレス」の支配が、すべての「乗りこえ体験」(生身で感じる喜び) を奪っており、あるいは、その体験を貧しいものにしているのです。

そのなかで、人間関係のストレス、仕事のストレスなどが、いっそう心身にひずみを起こす耐えがたいものになっていきます。そして、さまざまな健康障害や病気を生む原因になるのです。

近年、「成人病」とか「生活習慣病」とか「心身症」など生活過程のなかの病気が増えているといわれるのは、この現代日本の社会のストレスと関係があるのです。

結論を先まわりしていうと、現代日本の「時間のストレス」が緩和すれば、すべての生活過程の病気は半減するのではないでしょうか。

そのためには、たとえば「規定の労働時間以上は、絶村に働かせない」というようなルールが全産業で実行されねばなりません。残る仕事は、もちろん人員増(その業務ができる人を教育し、配置して) によって補うことが必要です。

こんなふうに、日本にしっかりとしたルールが採用されるようになったら、数年のうちにあなたの高血圧症も、となりのあの人のアルコール依存症も、ずっと改善するであろう。そして、日本中の医療費も減るだろうし、痛院の職員のハード・ワークも当然軽減されるはずです。
しかし、それはまだ実現できる段階にありません。どこかの云業だけの努力でできるものでもない。日本の産業構造を変える政治的な課題でしょう。

現代のストレス病

これは、ひとつの例です。この方は、45歳。建設関係の営業マンです。この道、もう20年になる。がんばり屋で、かつては業績もあがり、自分でも営業は自分の天職だと思ったこともあります。
しかし、近年は、不動産は売りも買いも動かなくて、毎日がウツウツとした日々です。

部下には、「明るくがんばれ」と激励していますが「励ましてほしいのは自分だよ」と、あまり元気がない。

もともと、若いときから健診では血圧が高いといわれていました。自分の父親も高血圧の治療をうけていたから、遺伝だと放置していました。

30歳代には、疲れたとき、後頭部が痛くなったりして、医者にかかったら、最高血圧が179mmHGで、最低血圧が100mmHGだったなどということがぁりました。

医者からは、食事療法をすすめられた。それに「ストレス解消を上手にしなさい」と注意されました。37歳のときに、ギツクリ腰になって、1週間入院しました。そのときは、なにかしようにも動けないので、おとなしく安静にしていました。そのとき、病院で測った血圧は、毎日正常血圧でした。

医者からも、「あなたの血圧は、ストレス性だから、自分でストレスをコントロールしないと、年とって本当の高血圧になっちゃうよ」とアドバイスされていました。
しかし、血圧は、高い数値を自覚することはほとんどないので、日常生活にもどると今までと同じ生活に戻ってしまいます。
ちなみに便秘を解消するだけで血圧が下がってしまう人もいます。

調子が悪いと「血圧が高くなっているのかな?」と考えるが、いつの間にか忘れてしまうという繰り返しでした。
そして最近、ただ仕事がうまくいかないだけでなくて、気力・活力が落ちているようで、身体に自信もないので受診しまし。病院でいろいろ検査した結果、結局、身体的には高血圧症だけでした。
しかも、朝自宅で測るときは、決して高くないという不安定性高血圧だ。医者は「降圧剤を飲むよりも」といって軽い安定剤を処方してくれました。

その後は、たしかにあまり頭が重くなったり、痛くなったりすることもありませんでした。夜はよく眠れるので、アルコールの量も減りました。

この方のケースは典型的なストレス性疾患です。ストレス性疾患の成立には、3つの要因があります。

  1. ストレッサー
  2. 身体的条件(既往症による後遺、先天的体質・後天的に学習した体質など)
  3. ストレスに対する心構え(気質、性格、人生観など。さらに、緊張、孤立、不安などの社会関係のなかでの感情状態)

ストレスと過労

ストレスとは、ストレッサーによって引きおこされる生体内(心理的変化も含む) の変化です。それはプロセスであって、一瞬の変化(「ケガをした」ような) ものではありません。

人間の場合は逃避したり、逆に目的意識的にたたかったりして、その生体内のプロセスは複雑です。たとえば、ストレスに疲れたと自覚した人が、1日休んでハイキングに出かけました。
その結果、「ストレス解消」し、翌日はまたストレスに立ち向かうことができるというような場合、健康です。

ところが、「ストレス解消」をする時間もとれない、休めないような過剰なノルマがある、それで、イライラしている。イライラして酒もよくのむ、そのために、血圧があがるし、体重も増え、食事制限するように医師に言われたとします。
この人の高血圧、肥満はストレス性疾患である。ゆっくりと休養をとらせることで、血圧は正常値にもどります。

また、やはり休めない、責任もある、いろいろ先のことを考えたり、仕事の段どりを思ったりして夜眠れない。朝、ムカムカして食欲がない、たまに休みをとっても、ぐったりしているだけで遊びにいく気力もわかない。
こんな場合は、過労(神経疲労の持続)です。
こういう場合は、ダラダラと休んでいてもだめであってよく眠れるようにすること、ハイキングなど、身体を動かすなどの対策が必要です。

この過労状態が放置されて長びくと、病的な状態(自律神経失調症など) に進行してしまいます。ストレスと過労の関係は複雑ですが、ストレスはストレッサーによる生体反応の過程であり、過労というのは、その過程の結果として引きおこされる自律神経系を中心とする神経機能の変化(とくに機能の低下)です。

現代のストレス「時間」

現在は、ストレスは? というと「人間関係」と答える人が多くいらっしゃいます。または「仕事」とか「子どもの教育」とかいう人も少なくない。
これらの「人間関係」「仕事」「子どもの教育」などは、人間の歴史のなかでいつも苦労でありストレスなのです。いまに始まったことでないストレスが、現在、私たちに「ストレス!!」とのしかかってくるように思うのは、昔とちがう、それこそ現代のストレスの親玉ともいうべきストレスが、別に存在するからです。

時間

時間は、昔はまったくストレスではなかったのだろうと思います。なぜなら人間は自然の時間の流れのなかで無理なく生活していたからです。

日が暮れれば眠り、目が昇れば働いた時代には、日が暮れるのに逆らって「今日中にやってしまわねばならない」と考えるのではなく、「日が沈んだら明日にしよう」と考えました。
しかし、富の蓄積による差別がおこる時代になると、夜なべ仕事で生産を強制されることも起こつてきた。つまり、何時までにどれだけ生産せよという、時間で区切った労働の強制です。そこでは、迫りくる締切り時間は、働く人にとってすごいストレスになってきたのでしょう。

しかし、それでも基本的には自然の時間が支配した時代は、牧歌的でした。人間関係もゆったりしたものでした。仕事も、苦役ではありましたが、たっぷりと休憩時間と睡眠時間で補われました。

子どもの教育などももっと余裕がありました。

しかし、産業革命後変化が起こりました。機械は24時間動かすことができる。灯は、24時間照らすことができる。商品をつくり広い地域に売りさばくために、まず出荷の日時をより早くするように競争するようになりました。

労働者は、工場のなかにいるかぎり、自然時間の流れに関係なく、機械の能力にあわせて労働することが強制された。このときから、「時間」は、人間の自然の生理と関係なく、産業のスケジュールに従ってすすむようになってしまいました。

産業革命当時、ヨーロッパでは、多くの労働者や子どもが病気となり死亡しました。日本における産業革命においても「女工哀史」に象徴されるような、多くの労働者の犠牲がありました。

当時の公衆衛生のレベルから、疾病の多くは、感染症や栄養失調でした。これらは、その後大きく改善した。それは、労働環境や生活環境の改善によるところも多大ですが、一方では労働時間の制限や子どもの就労禁止など、労働条件の改善も大きな役割がありました。つまり、就業時間を明確にして、私生活における休養の時間を十分に保障するということが、健康推持のために欠かすことのできないことなのです。

この意味で、労働基準法の8時間労働制などの原則は、労働者のストレス解消の基本的条件として重要なのです。しかし、産業革命後の産業の労働者管理は、あくまでも生産性をあげるための時間管理に主点が置かれています。単位時間内のノルマをアップすること、カンパン方式などにみる物品の流れを優先したスケジュールを組むとか、人間はまさに生産工程に付属する歯車のように使われます。

ここでは、労働者の私生活や家庭はまったく考慮されていません。現代日本で、自然時間から遊離した、生産性優先の時間管理による「時計時間」が、今、人間にとっての最大のストレスとして、私たちを襲っているのではないかと考えられます。

この「時計時間」が、人間の生活を支配することについては、もう逆もどりはできないでしょう。もっとゆっくりとした時間のスケジュールで生活を動かしていくことはむずかしいことかもしれません。しかし、就労時間をきっちりと切り、休養・睡眠の時間をきっちり保障することによって、この「時間」のストレスを軽減することはできるはずです。
そのようにして、資本家が支配する「時間」が、労働者の24時間を支配することが防げれば、子どもとの会話も家庭の団欒も回復し、多くの人々が嘆く、さまざまなストレスもいちじるしく軽減するにちがいないと考えられます。

過労

さて、この現代の「時間」のストレスは、労働医学の分野では、「長時間・超過密労働による健康破壊」というテーマで論じられているわけです。

「過労死」も「時間」のストレスの結果としての過労によっておこるものと考えてよいでしょう。ところが精神医学ないしは精神保健の分野でも、現代のストレス論は盛んなのですが、この「時間」のストレスはまったくといっていいほど、研究の対象になっていません。

精神の分野では、「過労」という言葉もほとんど現われることのない言葉であるが、現代の労働者に強制されている長時間・過密労働の問題も、「働きすぎる 型人間」として性格の問題に裏返しされて表現されるだけです。
これには、アメリカ心理学の影響が大きい。アメリカ生まれの「人間関係論」その他のプラグマティズムが、まったく主体的に吟味なく導入されて、さまざまな症例の説明につかわれています。
そこでは、患者の客観的な生活の様子や歴史が、人間関係のみで解釈されてしまいます。どんなにきつい労働で心身が疲労し、乗りこえるべきストレスに、どう対応したか、あるいはできなかったかが吟味されるよりも、夫婦仲が悪くなってセックスがどうであったかなどという現象がおもな話になってしまうのです。

「過労」の問題や「ストレスとしての時間」の問題から離れてしまうと、生身の人間の心身を両方とも統一してとらえることができず、いわゆる心理学主義になってしまうのです。

心身医学の本を読むと、気になる傾向として、この心理学主義がある。内科的な検査で、データ上異常がないと、そこに存在する自律神経症状なども心理学的に説明されてしまいます。しかし、事実の問題として「データ1 に異常ないが、あなたは疲れている」「あなたの生活は忙しすぎるから神経が疲れている」という問題である場合も多いはずです。したがって、精神療法よりも、十分な休養、適切な気分転換などを指導することの方が有効な場合も多いはずです。

急増しているストレスシンドローム
https://jiritsu-guide.com/2013/06/06/%E6%80%A5%E5%A2%97%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A0/