ところが、具体的な解決の提案をすると、彼女は気に入らない。たとえば、「それなら家を出ないで家にいたら」と言えば、「暴力があるから家にはいられないし、女がいる」と反論します。
「家庭裁判所に調停を申し立てたら」と言えば、「夫はプライドの高い人で、人から何かを言われてハイ、そうです、とはならない」と言います。
「調停が失敗したら離婚訴訟を起こしたら」と言えば、「7年続いていますが、外泊はないんです」と夫を弁護します。
この女性は私の言う具体的提案をことごとく即座に拒否します。それよりも具体的提案を続けると不愉快になります。
彼女は電話をしてきたが、明らかに解決の方法を相談しているのではないのです。表面的には相談という形をとっていますが、心の底で本当に求めているのは、「私の辛い気持ちを分かって」ということなのです。
「奥さんに隠れてそういうことを続けたことが問題だ」と言うと、「主人は仕事を大事にしている人だし、家庭を大切にする、私があまりすごいもんですからこういう風になってしまったんです」と、まるで主人のほうがかわいそうといわんばかりに私に反論してきます。
そして、「何か穏便に解決することはできないんですか? 」と「魔法の杖」を求める。残念ながら人生に魔法の杖はないのです。
この女性のジレンマは、自分が憎しみを持っている人から愛を求めていることにあります。この女性は、相手に自分の人柄を礼賛させつつ、自分の利己的要求を通そうとするから、「はい、でも」という優柔不断の典型になつてしまうのです。
幼児的願望が満たされていないから、周囲の人から「良い人」と言われたい、誉められたい。と同時に、自分の憎しみの感情を晴らしたい。それでは解決のための具体的な行動ができるわけがないのです。
したがってこの奥さんにとって大切なのは、事件を解決することではなくて、毎日「辛い、辛い」と嘆き、周囲の人に文句を言っていられる環境なのである。生