心の弱い人は生きているだけでエライ

しかし、非抑制型の人で親から愛された人は、生きているということは当たり前のことであり、偉大なことでも何でもありません。

社会のために尽くし、人のために働き、自分のことを後にして人のことから先にしても、それはある視点から見れば大したことではなく、当たり前のことです。

同じ生きていてもその価値は、天と地ほどの違いがあります。もちろん社会的に見れば、社会に貢献した人は偉大な人です。人は「病弱に生まれた子」というと、案外簡単に理解します。しかし病弱に生まれるというのは、体のことばかりではない。心についても同じように病弱に生まれる子がいるのです。

心の病弱な子として生まれた人は、いま自分が社会的にまともに生きていることは「とてつもないこと」なのだと評価をしていいです。生きることに疲れたあなたは、自分が偉大なことを成し遂げているのだと気がついてほしいのです。

死んで当たり前なのに生きているのであるのです。死んで当たり前の人が生きているのと、生きているのが当たり前の人が生きているのとは違います。死んで当たり前の人は、生きていることだけで価値があるということです。

大切なことは小さい頃から心を搾取された人が、いま自分が生きているということの偉大さに気がつくことです。

本当に努力した人は、本当に自信を持ちます。外の困難と闘う人と自分の内側の幽霊と闘わなければならない人とがいます。自らの心の傷と生涯をかけて闘わなければならない人間もいます。

出来上がったニューロンのネットワークで外の敵と闘っている人と、出来上がったニューロンのネットワークをつくり替えるために闘わなければならない人とがいます。

自分の脳を変えなければ、まともに生きていけない人がいます。授かった自分の命で外敵と闘っている人と、出来上がった自分を変えるために闘つている人とがいます。闘うことそのことが意味のある人もいれば、勝つことが意味のある人もいるのです。

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