生きることに疲れたら、休むという自然な形

人生を山にたとえるなら、同じように山を越えているように見えても、それぞれはまったく違った山を越えています。

ある人は、その山を越えた時に大事業を成し遂げたのかもしれません。それは毒ヘビが現れ、嵐に襲われる中を越えたのです。「よく生きてここまでたどり着いた」というほどの苦しさです。

しかし、同じように見える山でも、ある人にとってはお花畑を晴天の日に散歩しながら越えるかもしれません。

外側から見れば「親子の役割逆転」をしている親子関係も、そうでない親子関係も同じように見えます。片方は搾取に耐え、殺されることなく頑張って生き延びたのです。

普通ならノイローゼになって自滅していてもよい環境の中で生き延びたのです。それは「生き延びた」というだけでものすごいことです。

つまり、いま生きているということ自体が奇跡といえるほどです。その人は自分を守り抜いたのです。

あらゆる破壊と闘い、自分を守り抜いたということです。生きることに疲れるのは当たり前です。それは偉大な人生です。

不幸な星のもとに生まれた人は、生きているというだけで偉大なのである。生きることに疲れたあなたは、もう何をするエネルギーも残ってないでしょう。つまり、生きることに疲れたあなたにいま必要なのは休むことです。

そして休んでいる時に「こんなことをしていられない」と焦る必要はないのです。生きることに疲れたあなたは、いまこうして生きているということだけで偉大なのです。よくここまで犯罪も犯さず、自殺もしないで頑張って生き延びてきたのです。あなたと同じ環境に生まれて、心の傷を癒すために犯罪を犯した人はたくさんいます。いまこうして疲れて生きていることは、そのことだけで立派です。

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