「自分の幸せ」を認められない理由

いつも「辛い、辛い! 」と言っている人がいます。何か良いことがあってもどうしても「自分が幸せ」と認められない人がいます。

それはもちろん不幸な過去を背負っているからですが、それにはいくつかの理由があります。

1つはそこで「私は幸せ」と思ってしまえば、いままで生きてきた自分の人生がなくなると思えてしまうからです。「私は幸せ」と思うことで、自分がなくなってしまうような気がするのです。いま、この些細なことで「幸せ」と感じたら、いままでの苦しみの意味がなくなってしまうように感じてしまいます。オレの不幸はそんな簡単なものではないと言いたいのでしょう。

たとえば、自分は芋で蜜を作っていました。そこに蜂蜜を持ってきた人がいました。その蜂蜜を「おいしい」と言つたら、自分の人生は何だったのかということです。

寒いところに長い間いました。そして暖かい部屋に入ってきました。その時に「暖かいですか? 」と聞かれたとする。しかし何となく不安で「ハイ」と言えないのです。

長いこと結核の療養をした。病気は治っています。しかし健康に自信がありません。「健康ですか? 」と聞かれます。すると何となく不安で「ハイ」と言えないのです。1937三年の石油ショックの時にトイレットペーパー騒動がありました。万一レットペーパーがなくなったら大変だというので主婦が買いに殺到しました。

たとえいま幸せでもいつ不幸になるか不安です。その人が「幸せです」と言えない理由の1つは、生きていることが不確かだからです。

 

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