幸せのターニングポイント

いまあなたは生きることに疲れてしまった。いままでの生き方が愚かな生き方だと分かった。生きることに疲れるという代償を払って、いままでの自分の人生を理解したのです。

幼児的願望が満たされていないのは、あなたの責任ではありません。また不運にも、誰も「ああいう人とはつきあってはいけないよ」と教えてくれませんでした。

生きることに疲れた時は、まさにあなたの生き方を変える時です。生きることに疲れた時は、幸運へのターニングポイントでもあります。生きることに疲れた時はあなたの人生の節目です。

節目があるから竹は先に伸びて行けます。生きることに疲れたあなたは、いま誰に会いたいか? もし会いたい人がいれば、その人がこれからの人生を共に歩む友人です。

もし誰にも会いたくないならば、じつはいままであなたは嫌いな人に尽くして生きてきたのです。

あなたのまわりには誠実な人はいなかったのでしょう。生きることに疲れた時、それはあなた自身が自らを分かる時であり、周囲の人がどういう人であるか分かる時です。

あなたがあなたの人生を理解する時です。無理して生きている時には、あなたはあなた自身も周囲の人も分からないでしょう。それは人間関係を間違える時でもあります。

生きることに疲れた時に、初めて誰を大切にして生きていったらいいかが分かるでしょう。うつ病者はあまりにも真面目に合理的に生きてきすぎたのです。

そうしたことを価値があると思いすぎてしまったのです。だからエネルギーがなくなってしまったのです。

エネルギーのある人は、朝、花に水をかけます。その水のかかった花を見て、「朝だなー」と思います。そして「♪ 朝だ、朝だーよ」と歌いたくなるのです。

生きるエネルギーに満ちている人は、その水のかかった花や葉を見て、花や葉が「おいしい、おいしい」と水を吸っていると思います。

近代合理主義の世界に生きるところにエネルギーの供給源があるのではありません。人間の生きるエネルギーの源は、非合理的な感情の中にあります。人間がまだ洞穴の中に住んでいた時の太古の昔の感情の中にあります。それはいまだに私たちの脳のある部分には残っています。その部分と近代合理主義の法則とは違います。生きることに疲れた人は、自分の中にある「洞穴の中の人間」の部分を少しは解放することです。うつ痛者になつた人はその部分の価値を無視しすぎたのでしょう。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です