幼児的願望を満たしてくれなかったのは親

心理的にいえば、うつ病になる人は崖っぷちで頑張って縄跳びをしているような
ものです。

普通の人は縄跳びをしていれば楽しいのです。外から見えるのはうつ病者であろうと普通の人であろうと縄跳びをしているということだけです。

縄を回しながら飛び跳ねているのだから、外から見れば楽しく見えて不思議ではありません。しかしうつ病者は落ちれば死ぬという崖っぷちで、いま落ちるか落ちないかという危険の中で縄跳びをしているのです。

うつ病者は幼児的願望が満たされていません。周囲の人から愛されて成長していないからです。周囲の人から愛されていないどころか、周囲の人は、

うつ病者が感情を表現できなくて言いなりになることをいいことに、負担を押しつけてきたのです。

皆で利用してきたのです。うつ病になるような人は、不当に押しっけられた負担に抗議ができません。

淋しくて周囲の人から好意がほしいからです。抗議できないから、心の底で周囲に恨みを持ちます。

うつ病者はその憎しみを表現できないままどうにもならなくなっているのです。彼らは実際には動くことができません。何度も言うように、憎しみを持つ相手から愛を求めているからです。

親はうつ病になるような従順な子供の幼児的願望を満たしてやらないばかりか、逆に自分の感情のはけ口としてその子供を利用してきました。

だからうつ病になる人は親をはじめ周囲に恨みを持っています。しかしその恨みを表現できません。

もしその憎しみを何らかの形で表現できれば、うつ病者もうつ病にはならなくて済んだのです。し

かしうつ病者は逆に周囲の人にいい顔をしてしまっています。だから長年の憎しみが心の底に根雪となって凍りついてしまっているのです。

憎しみが心の底にあれば、何をしても楽しくはないのは当然です。

うつ病になるような人には楽しむ能力が欠如しています。生きることが楽しくなるためには憎しみを取らなければなりません。根雪のように心の底に凍りついた憎しみを取り去らなければ、彼らは何を得ても喜べないのです。

長年にわたって憎しみを心の底に堆積させた人は、他人の苦しみだけが喜びになります。アメリカのニュースのうつ病特集の時に、電気治療したうつ病患者が出演して、電気治療の結果、わずかに記憶喪失が起きたということですが、電気治療はおそらく憎しみの記憶を消すのかもしれません。だから電気治療は重傷のうつ病の治療に有効かもしれません。

気分のいい場所にいても気分がよくない

うつ病者に特徴的な感情についてです。彼らには何よりも抑うつ感情といわれるものがあります。それは表現されない憎しみの感情です。表現されない憎しみの感情を心の底に持っていれば、気分のいい場所にいても気分は晴れません。

だからうつ病者はどこにいても暗い顔をしているのです。気分のいい場所にいて暗い顔をしていると、第三者は、「こんな気分のいいとこうらやろにいるんだから、皆から見れば羨ましい環境だよ」と言います。「それなのにそんな暗い顔をしていたら、馬鹿らしいじゃないか」と言います。

人は、生きることに疲れた人と違って心の底に憎しみを堆積させていません。うつ病になるような人や生きることに疲れた人は、気分のいい場所にいても、その気分の良さを味わう心の能力がもうないのです。

心の能力とは生命力です。生きることに疲れた人は生命力が低下しています。「こんな気分のいいところにいるんだから」と言われるとうつ病になるような人は、「誰も本当には自分のことを理解してくれない」という無念な気持ちになるのです。

幸せのターニングポイント

いまあなたは生きることに疲れてしまった。いままでの生き方が愚かな生き方だと分かった。生きることに疲れるという代償を払って、いままでの自分の人生を理解したのです。

幼児的願望が満たされていないのは、あなたの責任ではありません。また不運にも、誰も「ああいう人とはつきあってはいけないよ」と教えてくれませんでした。

生きることに疲れた時は、まさにあなたの生き方を変える時です。生きることに疲れた時は、幸運へのターニングポイントでもあります。生きることに疲れた時はあなたの人生の節目です。

節目があるから竹は先に伸びて行けます。生きることに疲れたあなたは、いま誰に会いたいか? もし会いたい人がいれば、その人がこれからの人生を共に歩む友人です。

もし誰にも会いたくないならば、じつはいままであなたは嫌いな人に尽くして生きてきたのです。

あなたのまわりには誠実な人はいなかったのでしょう。生きることに疲れた時、それはあなた自身が自らを分かる時であり、周囲の人がどういう人であるか分かる時です。

あなたがあなたの人生を理解する時です。無理して生きている時には、あなたはあなた自身も周囲の人も分からないでしょう。それは人間関係を間違える時でもあります。

生きることに疲れた時に、初めて誰を大切にして生きていったらいいかが分かるでしょう。うつ病者はあまりにも真面目に合理的に生きてきすぎたのです。

そうしたことを価値があると思いすぎてしまったのです。だからエネルギーがなくなってしまったのです。

エネルギーのある人は、朝、花に水をかけます。その水のかかった花を見て、「朝だなー」と思います。そして「♪ 朝だ、朝だーよ」と歌いたくなるのです。

生きるエネルギーに満ちている人は、その水のかかった花や葉を見て、花や葉が「おいしい、おいしい」と水を吸っていると思います。

近代合理主義の世界に生きるところにエネルギーの供給源があるのではありません。人間の生きるエネルギーの源は、非合理的な感情の中にあります。人間がまだ洞穴の中に住んでいた時の太古の昔の感情の中にあります。それはいまだに私たちの脳のある部分には残っています。その部分と近代合理主義の法則とは違います。生きることに疲れた人は、自分の中にある「洞穴の中の人間」の部分を少しは解放することです。うつ痛者になつた人はその部分の価値を無視しすぎたのでしょう。