うつ病になるように生きてきた生き方を変える

少し難しい言葉を使えば、役割アイデンティティーだけで生きてきた人は、その重い責任からくるストレスを乗り越えられません。それに対して、きちんとした自我アイデンティティーを持って生きてきた人はその困難を乗り切れます。

役割アイデンティティーが優勢なのは憎しみによるものです。「真の恋人同士の間には、役割アイデンティティーの入り込む余地はない」と考えられています。

ここで大切なのは「真の」というところである。打算的な恋愛では役割アイデンティティーは大切です。

自分のアイデンティティーが、主任だとか課長だとかいう役割アイデンティティーが中心であれば、相手を見る時も役割アイデンティティーで見るでしょう。しかし、真の恋人同士の間ではそれがないのです。

重い社会的責任を果たす時には誰でもストレスを感じます。そして若い頃、真の恋愛をする中で身につけたものがそのストレスに対処する時にものをいうのです。

役割アイデンティティーだけで生きてきた者にはこのストレスは時に耐え難いものです。不安な緊張で消耗し、ろくに仕事もできなくなるでしょう。

仕事の能率が悪くなるから余計焦ります。そうなれば悪循環です。

昇進うつ病になる人は、昇進うつ病になるように生きてきているのです。だからうつ病になった時には、いままでの自分の生き方をもう一度ゆっくりと反省する時なのです。

自分の人生に与えられた熟考の時間として捉えましょう「いまうつ病になって良かった」と思うことです。

最後にものをいうのは人間としてのやさしさ

うつ病になるような人は、会社の仕事を少しはさぼっても心の葛藤を解決することを考えることです。小さい頃から真面目人間すぎた人は、会社を休んで少し遊んだほうが長い人生を考えれば効果的な時間の使い方となるでしょう。

出世が少し遅れても最後にはそのほうが会社でも伸びるでしょう。「役割間葛藤」とは、父としての役割と課長としての役割の調整の失敗などであると紹介しました。挫折する人は、父親としての仕事に時間とエネルギーを使うことは課長としての仕事に障害になると考えています。

じつはこの考え方が、長い人生での挫折の一原因でもあるのです。仕事も最後には人間としての器量がものをいう。新入社員の頃は英語ができるとか、字が椅麗だとか、数字に強いとか、コンピューターの操作が上手いとか、細かい事務が得意だとかいうことがものをいうかもしれません。

しかし、次第に重い責任を背負わなければならなくなってくるのです。そうなつた時に大切なのは人間としての器量です。そこには父親としての仕事を果たす間に培われるものもあります。

若い頃、友達と野山を歩いた時に身につけたものも大切になります。恋人とのつきあいも知らず知らずのうちに人を心理的に成長させてくれます。最後にものをいうのは人間としてのやさしさです。

心のふれあえる人間になっているかどうかということです。つまり心のふれあえる人間には心の葛藤がないのです。「ない」と言っては言いすぎなら「少ない」ということです。心のふれあえる人間には葛藤が少ないから、ストレスで負けるということが少ないのです。

葛藤は重荷となって心をの疲弊になる

「役割問葛藤」と「役割内葛藤」という言葉があります。これは、「役割内葛藤」とは「ある地位への執着と、その地位への不安」です。

「役割間葛藤」とは父としての役割と課長としての役割の調整の失敗などです。ある短い期間、活動的な人はたくさんいます。それは短い期間では「役割内葛藤」が生じてこないからです。

「役割内葛藤」の典型的な例は昇進うつ病です。昇進したいが、昇進した後に仕事がこなせるか不安になります。

昇進がきっかけでうつ病になった私の体験談 – うつ病になったきっかけ(私の体験談)

葛藤は人の能力を落としています。葛藤は「役割間葛藤」であれ「役割内葛藤」であれ、能力を発揮することの障害になります。葛藤を持っていることはものすごい荷物を持って歩いているということです。

「人生は重荷を背負って坂道を歩いて行くようなものだ」と徳川家康は言いましたが、現実の重荷ならいいが、心の葛藤という心の重荷だと、ほとんど確実に何らかの挫折が待っているのです。心の葛藤を持っている人は、外から見ると何も背負っていないように見えてしまいます。

しかし、見えない重荷を持っているからいつも疲れています。活動的ではないのです。じつはそういう人は、体に鞭打って会社に行っても先は開けていません。待っているのは挫折です。ひどい時には「燃え尽き症候群」にかかり、燃え尽きてしまいます。あるいはうつ病になるでしょう。