ある中小企業の社長の話です。貧乏のどん底に追いやられ、会社の再建は不可能です。「子どもの学校も中途退学させなければならぬ」「すべて自分が悪いのだという罪業感」。
しかし「第三者が公平な立場でみればそれほどのことはない」。じつは社長は生きることに疲れているので、こう思うことで済ましているのです。
この社長は会社が嫌いなのです。子供も嫌いに違いありません。もし会社が好きで、子供が好きなら、この社長は頑張る。ここがポイントです。
こういう人は、自分の心の底の嫌悪感や憎しみを意識できないから、長い間に疲れるのです。憎しみを意識できれば「すべて自分が悪いのだという罪業感」までいくこともないでしょう。
うつ病になるような人はこの社長と同じです。本当は嫌いなのに、「嫌いになるべきではない」という規範意識で「好き」と自分に言い聞かせて生きてきたのでしょう。
そして頑張りたくないのに「頑張るべき」と思って頑張って生きてきたのです。嫌いなことを嫌いと意識して生きてきた人が、この社長に、「頑張れば、会社を再建できる」と言うのは見当違いな励ましです。
このような励ましはこの社長をふちもっと絶望の淵に追いやるだけです。
アメリカの心理学者シーベリーは、「失敗するのは、事実を拒み、事実を事実として認めようとしないからです。それらを認めれば、それらを正す方法も見つかる」「問題は解決する」と述べています。
この社長に必要な人は、「頑張れば、会社を再建できる」と言う人ではありません。「本当は会社も何も嫌いなんじゃないの? 」と言う人です。
そして、「もう無理するな。たまには遊べ、よく食べろ、そしてよく眠れ」と言ってくれる人です。
この社長は本当の自分の感じ方を認めないから、「何でこうなるのかが分からない」。だからこの社長は正体不明のものに怯えているのです。
進んであるがままに自分の感じ方を受け入れれば状況は好転するでしょう。それは自分の内なる力が解き放たれるからです。「情況を受け入れる、これが情況に対処する第一歩です」とシーベリーは述べています。この言葉を借りれば、「自分の感じ方を受け入れるこれが状況に対処する第一歩である」。