手に入らない物はいらないと考える

イソップ物語には、コウモリと、イバラと、カモメとが仲間になって、商売をしようということになりました。

コウモリは銀貨を借り、イバラは外套を仕入れ、カモメは鋼の塊を持ってきて、皆で船にのって出かけました。途中で激しい嵐にあい、船は遭難します。

何とか助かったが、陸にあがった時から、カモメは海岸にいて、波が銅の塊を打ちあげはしないかといつも番をしていました。

コウモリはお金を貸してくれた人に見つからないかと恐れて昼間は隠れて、夜になると餌を探しに出かけました。イバラは通りかかる人をつかまえては外套が自分のではないかと探した。

過去に捕らわれて生きる愚かさをイソップは見事に描いています。失ったものをめんめんと追いかける愚かさです。手に入らないものをずっとと追いかけています。それで一生を終えてしまいます。

そういう人が案外多いのです。自分の失った人生への未練で一生を終わる人はたくさんいます。送ろうと思えば、目の前に素晴らしい人生があるのにも関わらずにです。

心を今(現在)に置くようにする 不幸な人は過去に生きる

「母なるもの」を持った母親のもとに生まれた幸せな人は、簡単に「いまに生きましょう」と言います。しかし簡単にいまに生きられれば、誰だつていまに生きることになります。

いまに生きようとしてもいまに生きられないから嘆いているのです。

うつ病になるような人はとにかくいまを生きる気力、生産的に生きるエネルギーを奪われています。

ない袖は振れないという。いくら裁判で勝ってもお金のない者からお金は取れないというものです。そのような裁判で勝つことを英語では「Empty victory」といいます。いまを生きられない人は、満たされていない過去の欲求に支配されてしまっている人です。

過去のさまざまな感情を抑圧している人は、なかなかいまを生きらることできません。「いまを生きる」とは、いまの静けさを味わいなさいということです。自然の昔を聞きなさいということです。

「心ここにあらざれば、見れども見えず、聞けども聞こえず」になります。だから心をいまここに置きなさいということです。

いまを生きれば聞こえてくるものがあります。匂ってくるものがあるのです。「いまを生きよ」とはいまに反応せよということです。

いまの雨の音に聞き入れということです。いま晴れた空の下にいるなら、その晴れた空の澄み切った空気を味わいなさいということです。

それができないのは、心の底に憎しみがあるからです。その過去に引きずられます。いまが不幸な人は過去に生きています。生きることに疲れた人が、独りの世界に入ってしまうのは、心の底に憎しみがあるからです。

脳と行動の研究をしているアメリカのアーメン博士によると、過去の心の傷に捕らわれている人は脳のシングラートという部分が正常に機能していないといいます。ただ問題はなぜそれが正常に機能しないかということです。私は憎しみが原因だと思っています。

辛かった時のしんどかった思い出を聞いてくれる人

生きることに疲れたあなたがいま面白い毎日でないとすれば、それはあなたの心が疲れているからです。

ただ休むのでもいいし、かわいいペットを飼うのでもいいでしょう。だからまず自分の心を癒すことを考えることが大切です。

たとえば動物を飼うことでいうと、小鳥を飼うのでもいいでしょう。そして小鳥が餌を食べるのを見て心が癒されるでしょう。

犬を撫でることで心が癒されます。また、癒される相手を探すことです。王様でもホームレスでもいいから無欲の人を探しましょう。

いままでのあなたの周囲の人とは価値観の大きくずれている人を探し、つき合います。

林の中を歩くのでもいいでしょう。自然と接することで心が癒されます。野原で風に当たるのでもいいです。風に当たることで心が癒されます。そういうことをするのが億劫ならそれをしなくてもいいです。静かに座って景色を眺めていればいいです。

居心地のいい場所を作ります。それは安心して身をゆだねることのできる場所です。うつ病になるような人は、小さい頃から身の安全がなかった場合が多いでしょう。

そしてあなたの辛かった身の上話を聞いてくれる人を探すことです。あなたを励まそうとする人よりも、「あなたはそれほど苦労したのねー」と聞いてくれる人です。

コオロギは冬に木の根に入りたい。しかしそのコオロギはおみやげを持っていかなければ仲間は木の根に入れてくれません。そこで可哀想なコオロギは寒さにふるえています。悶死しそうになります。

しかたないので必死になっておみやげを持っていった。あなたが、「私はそういう生活をしながら生き延びてきたの」と自分の過去を説明する。その時に、「それほど苦労したのね」と聞いてくれる人です。あるいは一時の気を紛らわすことであれば、数珠をいじっているのでもいいでしょう。

「アランが言っているように、数珠はじつにみごとな発明です。なぜなら、数珠を繰ることで指が占拠されるだけでなく、心も占拠されるからです。

舞台に出る時、すっかり気おくれしているピアニストは、ピアノを弾き始めたとたんこわくなくなります。指の動きが彼の注意を奪い、恐怖から解き放つのです。数珠をいじっているうちに、散歩でもしようかという元気が出てくるかもしれません。