これまでの人生は「人間の愚かさ」を知るためだった

生きることに疲れた人は、まず何よりも自分を守らなければならない。生きることに疲れた人は自分を守ることをしてこなかったのです。

愛情飢餓感から人に気に入られることばかりを考えてきたのです。生きることに疲れたあなたは、人に気に入られるためにここまで頑張って生きてきて、何かを得たでしょうか?

生きることに疲れたあなたにとって、世間の評判がいま何か力を与えてくれているでしょうか。生きることに疲れたあなたにとって財産や学歴がいま何か力を与えてくれているでしょうか。

生きることに疲れたあなたにとって、いままでつき合ってきた人がいま何か力を与えてくれているでしょうか。

何も与えてくれはしません。ぁなたはそうした人の評価を得ようと努力してきたのです。

愛情飢餓感が強いからどうしても人からの評価を欲してしまうのです。それは理解できます。しかしいまあなたは生きることに疲れてしまったのです。ここであなたは学ばなければいけません。

いままでは仕方がありません。愛情飢餓感が強ければ、誰でもあなたと同じように人からの評価を得ようとして無意味な努力をします。幼児的願望が満たされず愛情飢餓感が強い人があなたのように生きるのは、人の本性でもあります。

しかしいまその生き方がいかに愚かであるかを、あなたは心底感じたのではないでしょうか。人間の本性の愚かさは人から聞いてもなかなか本当には理解はできまません。

それは自ら体験しないかぎり分からないのです。人間というものは、愛情飢餓感から、かくも愚かな行動をするということを人は身をもって学ばなければいけません。

生きることに疲れたあなたはいまそれを学んだのです。いままでのあなたの人生はその人間の愚かさを学ぶための人生だったのです。いまあなたは人の本性の愚かさを心底感じたのです。

いままで自分がしてきたことの無意味さを心底感じているのです。それは「ここで学びなさい」という神の啓示です。

心に響く音楽や本を見つける

いま頑張っても、もう実りはありません。努力の成果は期待できないのです。いま尽くしても尽くす人を間違えるだけです。

いま人の期待に応えようとしても、逆に傷つくだけです。いまは人の期待に応えないで休む時です。

ただ景色を見ていればいい。それでいいし好きな音楽があればそれを聴いて時を過ごすことです。

好きな小説があればそれを読んで時を過ごすことです。その音楽や文学の中に心の底に積もり積もった憎しみの感情のはけ口を見つけることです。

あなたのうっ積した感情に響いてくる何かが、音楽や文学にはあるに違いありません。

その音楽にいつまでも耳を傾けることです。その時に、一般的に優れたものと定評のある文学や音楽を選んではなりません。

自分の心に響いてくるものがあるかないかが選ぶ基準です。外国文学でもいいし、日本文学でもいいし、古典でもいいし、大衆文学でもいいし何でもいいでしょう。

今は、休んで次の幸せの時期の準備をする

人生には頑張る時と、休む時があります。あなたは休まないで頑張り続けてきたのです。いまはその分休む時です。

いまあなたは休むことで次の幸せの時代を準備しているのです。休んでいることが次のエネルギッシュな時代の準備をしているのだということを忘れてはいけません。

きっと春がやってくるのです。それまで休むのです。法学者であり政治学者であり偉大なモラリストであるヒルティは、「苦痛こそ『あらゆる大きな幸福への門』である」と述べています。

いまの疲れはあなたのこれからの長い人生にとって無駄ではないんです。

いまのこの「生きることに疲れた状態」は、自分の人生の中で必要なトラブルと思えばいいのです。

そして、「なぜこのトラブルが起きたのか、自分の生き方のどこに間違いがあったのか」と考え、このトラブルから学ぶことです。

つまり、「いやなことが起きた」「どうしよう、もうダメだ」「大変なことが起きた」などとパニックになるような問題というのは、じつは長い人生を考えれば本当は悪いことではないのです。悪いと思うから心が重くなり逃げ出したくなるのです。