ずるい人と離れれば自然と自信がつく

そして次のことに気がつくでしょう。つまりあなたをそれでバカにする人は、それしかないということです。

肉体的強さ、学歴、お金など、さまざまなことを自分が持っているということで、持っていない人をバカにするのです。持っている人は、持っていない相手をバカにします。

しかしたとえば学歴で人をバカにする人は、学歴しか自慢することがない人です。自分をバカにする人などに執着しても、自分に何をしてくれるというのでしょうか。

そんな人は何人集まっても力にはなりません。いま生きることに疲れているあなたが、ずるい人と別れることがあなたに与える自信ははかり知れないのです。

別れてみると見えなかったものが見えてくる

自分を頼りなく感じる人は、生きていこうとすれば1人でも生きていけるのに、1人では生きていけないと感じてしまいます。

そして1人では生きていけないと思うと、1人では生きていけなくなってしまいます。いったん別れてみれば、自分にとってデメリットだけという人にどうしてあそこまでお世辞を言い、貢ぎ、恐れていたかが不思議になるでしょう。

でも迎合している時にはそれが分からないのです。自分にとってデメリットだけということは、裏を返せば相手にとってはメリットだけということです。

しかも相手のほうが威張っているのです。メリットを与えている側が、メリットを得ている側に卑屈に迎合しています。

人から搾取されている時には、どうしても事実が見えないものです。いったん離れてみれば、「オレはなんてバカなことをしていたのだろう」と不思議に思うはずです。

しかしこうした構造は離れてみないと理解できないものです。離れてみると、その人と離れていることが「得していることばかり」であることに驚くでしょう。

しかし、つきあっている時には、その人と接すると自分が「損していることばかり」であることに気がつかないのです。

離れてみると、その人から離れてても何の不都合もないことに気がつきます。その人と離れていても何も困ることはないのです。その人たちは努力せずに幸せになることばかりを考えている人たちだからです。

それなのに、不思議なことに、つきあっている時には、何だかその人と離れると何か「困ること」が起きるような気がして不安になってしまうのです。そして嫌々ながらも何だか分からないが、つきあっていなければいけないような気持ちに陥っているのです。

しぼりとられているのに迎合してしまう理由

つまり搾取されている時に、人は搾取されているという実感を持たないのかもしれません。逆に自分を搾取している人を、「その人なしに生きることはできない」と錯覚してしまうのです。

人は搾取される度に、自分を頼りなく感じるようになる。自分は誰かが側にいないと生きていけないように感じてしまうのです。

誰かと「つるんでいなければ」生きていけないように感じるのです。その側にいる人が自分を搾取する人であっても、その人がいるから生きていけると錯覚します。搾取されてしまうと、搾取されることが当たり前のことと感じ始めてくるのです。

そこが恐ろしいことなのです。相手に貢ぐだけの関係なのに、相手がいなければ自分は生きていけないような錯覚に陥ってしまいます。

人はいまあるものが何であれ、それがなくなると思う時、不安に陥ります。別れてみれば、「なんであんな奴に迎合していたのだろう」と驚くことも多々あるのですが、迎合して貢いでいる時には、それに気がつかないのです。

貢げば貢ぐほどそれが当たり前のことになります。貢げば貢ぐほど自分が頼りなくなってきます。

それはアメリカの偉大な精神医学者カレン・ホルナイがいうように、不安から人に迎合すれば、その結果は頼りなさです。迎合すると何となく自分が頼りなくなって、その相手がいないと生きていけないような錯覚に陥ってしまいます。

自分にとって何のメリットもない人に迎合します。その人とつきあうことは自分にとってデメリットだけという人でも、いったん迎合してしまうと、その人が強い人に感じはじめます。

「相手に対する自分の行動が、相手をどう思うかを決める」というアメリカの精神分析医ジョージ・ウェインバーグの言葉はそのとおりです。

客観的に見れば、相手は強くない人です。しかし自分が迎合すると、相手が強い人に感じられてきます。自分が相手にどういう態度をとるかで、相手がどういう人に感じられるかが決まってしまうのです。