惨め中毒という病気

しかし生きることに疲れた人の中には、こうして憎しみの感情を吐き出すことすらできなかった人が多くいます。安易に正義を叫んで市民運動などに参加できない人たちです。生きることに疲れた人はストレートに憎しみの感情を晴らすことができないし、身代わりを選んで憎しみの感情を晴らすこともできません。

犯罪という形で心の底の憎しみを外に出すこともしない。愛されたくて頑張って、無理をして、そして消耗してきました。そこで生きることに疲れた人は、憎しみをまったく違った言葉で吐き出しているのです。

だから周囲から見れば惨めではないのに、彼らは惨めさを誇示します。「惨め中毒」という言葉が英語にあります。

アルコール依存症の人がいつもアルコールを飲んでいなければいられないように、彼らはいつも自分の惨めさを誇示していなければ生きていられないのです。

自分はいかに周囲の人から酷い日にあわされたか、いかに重い負担を不当に背負わされているか、いかに皆から不公平に扱われたかなどを延々と話していなければ生きていられないのです。

それはなぜか? それは、惨め中毒の人は、自分の心の底にたまった憎しみの感情をどうにもできないからです。その心の底に堆積した憎しみの感情を、惨めさを誇示することで吐き出さないではいられないのです。それが惨め中毒です。

生きることに疲れた人は惨め中毒にかかっています。消耗しているのが周囲の人の目に見えます。いかにも疲れてやつれています。だから周囲の人もあなたと一緒にいたいとは思わないのです。

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