「不幸」は偽装された憎しみ

不幸は偽装された憎しみです。彼らは自分が不幸であることで憎しみを晴らしているのです。不幸にしがみついている人は、不幸になるより他に憎しみの感情を表現する方法が分からないのです。

たがって周囲の人に憎しみがある以上、そう簡単に幸せにはなれないのです。周囲に自分が不幸であることを誇示することで、憎しみの感情のはけ口を見つけているのです。

不幸は憎しみの表現方法です。だから「私は不幸です」と訴えるごとで、憎しみで傷ついた心が癒されるのです。

「私は不幸です」と訴え続けている人は、生きる根元を忘れて、恨みを晴らすことで生きているのです。「私は不幸です」ということは「私は悔しい」という意味でもあります。

もちろん憎しみを込めて「悔しい!」と実際に口に出す人はうつ病などにはなりません。

周囲を実際に攻撃して恨みを晴らせばそこで終わりです。周囲に向かって「私は悔しい」とか、「私はあなたが憎らしい」とか言えない人が、「憎らしい」と言う代わりに「私は不幸です」と言っているのです。

それが相手と村立しないで憎しみを晴らす方法なのです。幼児的願望が満たされず、愛情飢餓感が強い人は相手と対立できません。相手が憎らしい…。しかし相手に愛着もあるので、「私はあなたが憎らしい」と言えません。

そうした時に「私は不幸だ」と言うのです。「私は太っているから不幸」と言う人がいます。そういう人は別に太っていることを解決する意志はないし、太っているから不幸とも本当は思っていないのです。

それなのに「あなたは太っていない」とんちかんな慰め方をする人がいます。中には「食べる量を少し減らしたら」などという解決策まで言う人がいます。

環境的に恵まれているのに「私は不幸」と惨めな声を出すのは、他人が悪いと思っているからです。

自分の不幸を人のせいにしているのです。相手に何とかしてくれと訴えているのです。

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