生きるエネルギーを回復すれば景色が変わってくる

周囲の人の中にはあなたを励まそうとして、「あなたはこんなに色々の仕事をしてきた、あなたはこんなに頑張ってきた、だからあなたは自分に誇りを持てるでしょう」と言う人がいるかもしれません。

たしかに一般的な基準から見ればあなたは長いこと頑張って仕事をしてきたのでしょう。会社でも家庭でも色々な責任を立派に果たしてきたのです。あなたが自分に誇りを持つのは当たり前です。

しかし、あなたは自分に誇りを持っていません。周囲の人から見れば、あなたが自分に誇りを持っていないのは不思議です。問題はあなたがしてきた仕事の質と量ではない、あなたが果たしてきた責任の重さではない、背負ってきた負担の重さではないのです。

あなたが果たしてきた、あるいは果たしつつある責任は重くのしかかっています。あなたは一般の人よりも社会に貢献してきました。でも、生きることに疲れたあなたはその自分にいま誇りを持てないでいます。

周囲から、「こんなにしてきて、すごいじゃないか、誇りに思わないの? 」と言われても誇りに思えないでしょう。それはあなたが誇りに感じる心の能力をすでに失っているからです。

普通の人があなたと同じだけの仕事をしたら自分を誇りに思うでしょう。しかし同じことをしても、あるいはそれ以上のことをしてもあなたは自分に誇りを感じないでしょう。

それが生きることに疲れたということです。あまりにも長い間ストレスに耐えて頑張っているうちに、喜びも楽しみも誇りも何も感じられなくなってしまったのです。

だから生きることに疲れたあなたは、自分についての事実を変えようとするよりも、あなたの心を変えようとすることです。生きることに疲れた時と、生きるエネルギーを回復した時では、世界は遣って見えるでしょう。周囲の人も違って見える。自分自身も違って感じられるでしょう。

面白さを感じる心の能力が不足している

日本語には訳されていないのですが、アメリカで「The Emotion Revolution(=感情革命)」という本が出版されています。その中にうつ病者の例が出ています。

うつ病者は自分の仕事が悪いとか、結婚生活が不幸だとか、経済状況が困難だとか、自分のうつ状態に色々と立派な理由を口にしますが、抗うつ剤を飲まして調子よくなると、同じ状況でも言うことは違って、「この仕事は悪くはない」「経済状態は何とかやっていける」「結婚生活の未来は明るい」と言い出すそうです。

毎日が面白くないとすれば、それはあなたの毎日の事実が面白くないのではなく、面白さを感じるあなたの心の能力が欠如していることが問題なのです。

自己執着が疲れの原因に

自己執着から疲れてしまったのでしょう。。その点をこの機会に反省して、生き方を変えようと思わなければ、回復してもまたいつか先に行って同じように生きることに疲れてしまうでしょう。

もしかすると10年経っても同じように生きることに疲れたと言っているかもしれません。あなたはたしかに必死になって努力してきたでしょう。

しかし、いったい「誰のために」努力してきたのか、そこをもう一度考えてみることです。生きることに疲れてもなお周囲の人を恐れていたり恨むばかりで、「自分はいままで何をしてきたのだろう?」と考えない人は、幼児的願望がまだものすごく強いのです。

まさに情緒的未成熟です。本当に心理的成長ができていないのです。こういう人は、自分は心理的にはまだ3歳か4歳くらいの子供にすぎないと認めなければならないでしょう。そこから出発することを考えなければいけません。

それに対して、生きることに疲れた時に、周囲の人を恐れたり恨むのではなく、「自分はいままで何をしてきたのだろう? 」と考えた人は、幼児的願望をある程度は消化できています。10代の若者にはなっているかもしれません。

自分はこれまで何をしてきたか?

最後に、自分の胸に聞いてみることは、寓話の中のカメのように、「自分はいままで何をしてきたのだろう」と考えたことがあるかということです。

考えたことがない人も多いのではないでしょうか。普通は生きることに疲れたなら、そう自分に問いかけておかしくはないのです。

疲れ果てて1人ポつんと、「いったい、オレはいままで何をしてきたのだろう? 」と考える時があるほうが自然です。

生きることに疲れたあなたが、それを口に出さないとすればどうしてでしょう。そう考えないあなたは、いまだにその人たちの期待に応えられないことを恐れているか、あるいはその人たちを恨んでいるかでしょう。

では逆にどういう人がそれを口に出すでしょう。もしある女性が、好きな男性のために自分の人生をかけて愛したとします。そしてその恋愛は失敗しました。

その女性の努力は何も生みださなかったのです。相手は幸せにはならなかったし、自分もいま幸せではないのです。

そうであれば、その女性は、「自分はいままで何をしてきたのだろう? 」と落ち込むはずです。

その女性は、自分は間違った生き方をしていないと、その時までは思っていたでしょう。

この努力はきっとうまくいくと思っていたでしょう。そう確信していたのに、その予測がはずれました。

そこで、「どうしてこんなことになってしまったのだろう」と嘆きます。この女性がこのように嘆くのはごくごく自然です。しかしあなたはこの女性と同じように努力をしてきました。

そして同じようにその努力は報われなかったのです。あなたはその女性と同じように、「自分は間違った生き方をしていない」と思っていました。しかし、いまあなたは生きることに疲れてしまったのです。どこに違いがあるのでしょうか?

この女性は相手を愛していました。相手の幸せのために頑張ったのです。そして自分の人生をかけたのに、相手は幸せにはならなかったのです。

そこで「自分はいままで何をしてきたのだろう?」と考えたのです。

しかし、あなたがこのように自分に問いかけなかったとすれば、それはあなたがこの女性のような生き方をしていなかったからでしょう。

あなたもこの女性も努力しました。女性は相手のために努力しました。しかしあなたは、自分が人からよく思ってもらうためだけの努力だったのではないでしょうか。それは自己執着的努力ではなかったからでしょう?。

 

 

どういう人間関係で終わるのか

次に、いまつきあっている人について、「この人たちとどういう人間関係で終わるのか? 」と考えてみましょう。

この人は自分が歳をとったら世話をしてくれる人か? 自分が自動車事故にあったら面倒を見てくれる人か? そう思ってその人たちを見たら、誰が誠実か、誰が不誠実かが見えてくるはずです。

明日まので命だとしたら何をするのか?

生きることに疲れたあなたは、休みながら3つのことを自分に質問してみることです。まず、1つは、もし明日死んでしまうとなったら、いま自分は何をするか?

その人たちに気に入られるために最後の力を振り絞るだろうか?ということです。

もう一度疲れた体に鞭を打つでしょうか。そうではないはずです。「この嫌な人のことなんかどうでもいい」と思うのではないでしょうか。

人生は平等に一度しかありません。本当に1回きりです。本当に人生は一度しかないと思ったあざむら、自分を無理に欺いて、人に迎合するでしょうか。

あなたはいままで「人生は一度しかない」と本気で思ったことがないはずです。多くの人がそうやって日々を暮らしています。

もし「この人生は一度しかない」と本気で思ったら、あなたは生き方が違ってくるはずです。

生きることに疲れると、思考が深まる

生きることに疲れたあなたはもしかしたら逞しくはなれなかったかもしれませんが、生きることに疲れることで、考えが深くなったはずです。

この時期を乗り越えれば、前に比べて考え深く、思いやりのある人になっています。あなたは人に迎合して生きてきました。その結果自分には不誠実に生きてきたということです。

これからは自分に誠実に生きることです。そうすれば自然と人には誠実になります。イソップ物語風に考えてみましょう。

カメがカエルと遊んでいました。カメは小さな魚をとってはカエルに分けてあげました。カエルが喜ぶとカメは嬉しくなりました。カエルと進んでいたカメは気がつくと海から随分離れていました。そして、あたりが暗くなっていました。

カエルは好物の蚊を美味しそうに食べています。カメはそれを眺めるばかりです。「自分はいったい何をしていたのだろう。カエルは食べ物さえ分けてくれない。分けてくれても蚊は食べられない。あー、どうしてこんなところまで来てしまったのだろう」とカメは悲しんでいます。

カメはもう大人になっていて、いまからではカエルの世界には溶け込むことはできません。苦労してついてきた自分は何をカエルに求めていたのか、この時初めて気付きました。

それは誰でもいいから、淋しい自分を慰めてほしかったのです。カメは海の友達も嫌いで、誰でもいいからその場を楽しませてもらいたかっただけなのです。

それがもっと早くわかっていれば、カメは自分に合った相手を選んでいたはずです。結局、カメは淋しさが原因で、いま、たった独りぼっちで淋しく野原にたたずむということになってしまいました。

生きることに疲れた人はこのカメと同じです。淋しい人は誉められることが嬉しいのです。人が自分に注目してくれることが嬉しいのです。そこで自分を見失ってしまいます。カメが自分を知っていれば、自分のエリアの中で心楽しむことができます。

自分をもっていればカメはカエルを深追いしなかったでしょう。自分の生き方に自信があれば、カエルに迎合しません。そんな頼もしいカメを見たらきっとカエルのほうが歩みよってくるでしょう。

小さい頃「良い子」であった子供が、大人になってから挫折する時も同じです。親の期待を実現するために頑張って官僚になったとします。

そして40歳になった。その時に自分は官僚には適していないと分かりました。しかし「この歳になってもう大学卒業の時と同じように新しいところには就職できない」と思うでしょう。それはカメが、「あー、どうしてこんなところまで来てしまったのだろう」と悩むのと同じです。

そうなった時に、中には自殺する人さえいます。自殺まで行かなくてもうつ病になる人もいるのです。

うつ病にならなくてもノイローゼになる人もいます。投げやりになってしまう人もいます。40歳になる前に17歳で事件を起こしてしまう人もいます。

皆どうしていいか分からなくなってしまった人々です。そんなこんなと考えながら人の一生は、あっという間に終わってしまうでしょう。

人生の真実が見えてくる

あなたが気に入られようとして身を削って生きてきた、その人はいまのあなたに何か助け船を出そうとしてくれているでしょうか?

その人に気に入られたいと無理をして嫌なことをしてきました。その人に気に入られたいと体に鞭を打って消耗しました。その人は溺れかかっているあなたに何かをいましてくれているでしょうか。

あなたが入学して喜んだ学校が、あなたが入社して得意になつた会社が、生命力の低下したあなたに、いま何か救助の手をさしのべてくれているでしょうか。

具体的なことをいっているのではありません。それらが心の支えになっているだろうかということです。

苦しい時に、何の心の支えにもならない学歴や職歴を得るために、あなたはどれほど努力してきたことか…。

愛情飢餓感が強ければ人は周囲に迎合します。それが人間の本性です。しかしそれが人間の本性でも、いまあなたはその迎合の無意味さを心底味わったのです。

嫌われるのを恐れてあなたは「好きです」と言ってきたのです。自分が嫌われないためにこういう迎合をして生きてきたのです。

「お茶、飲む? これおいしいのよ」と相手が言います。本当は飲みたくない。でも「飲みたい」と言ってきたのです。

すすめてくれたケーキは嫌いだけれども、「好きよ」と言うのが、あなたの日常生活だったのです。

辛い思いをして迎合しても、その人たちは苦しい時に誰も助けてくれません。あなたはいま心底体験でそのことを知ったのです。生命力の低下したあなたを理解してくれる人はいま周囲に誰もいないのです。

その周囲にあなたは迎合して生きてきたのです。生命力の低下したいまこそ、人生というものはこういうものだと理解する時なのです。

生きることに疲れた時、それは自分を理解する時です。生きることに疲れたあなたは、それを理解するためにいままで辛い人生を生きてきたのです。

 

これまでの人生は「人間の愚かさ」を知るためだった

生きることに疲れた人は、まず何よりも自分を守らなければならない。生きることに疲れた人は自分を守ることをしてこなかったのです。

愛情飢餓感から人に気に入られることばかりを考えてきたのです。生きることに疲れたあなたは、人に気に入られるためにここまで頑張って生きてきて、何かを得たでしょうか?

生きることに疲れたあなたにとって、世間の評判がいま何か力を与えてくれているでしょうか。生きることに疲れたあなたにとって財産や学歴がいま何か力を与えてくれているでしょうか。

生きることに疲れたあなたにとって、いままでつき合ってきた人がいま何か力を与えてくれているでしょうか。

何も与えてくれはしません。ぁなたはそうした人の評価を得ようと努力してきたのです。

愛情飢餓感が強いからどうしても人からの評価を欲してしまうのです。それは理解できます。しかしいまあなたは生きることに疲れてしまったのです。ここであなたは学ばなければいけません。

いままでは仕方がありません。愛情飢餓感が強ければ、誰でもあなたと同じように人からの評価を得ようとして無意味な努力をします。幼児的願望が満たされず愛情飢餓感が強い人があなたのように生きるのは、人の本性でもあります。

しかしいまその生き方がいかに愚かであるかを、あなたは心底感じたのではないでしょうか。人間の本性の愚かさは人から聞いてもなかなか本当には理解はできまません。

それは自ら体験しないかぎり分からないのです。人間というものは、愛情飢餓感から、かくも愚かな行動をするということを人は身をもって学ばなければいけません。

生きることに疲れたあなたはいまそれを学んだのです。いままでのあなたの人生はその人間の愚かさを学ぶための人生だったのです。いまあなたは人の本性の愚かさを心底感じたのです。

いままで自分がしてきたことの無意味さを心底感じているのです。それは「ここで学びなさい」という神の啓示です。

心に響く音楽や本を見つける

いま頑張っても、もう実りはありません。努力の成果は期待できないのです。いま尽くしても尽くす人を間違えるだけです。

いま人の期待に応えようとしても、逆に傷つくだけです。いまは人の期待に応えないで休む時です。

ただ景色を見ていればいい。それでいいし好きな音楽があればそれを聴いて時を過ごすことです。

好きな小説があればそれを読んで時を過ごすことです。その音楽や文学の中に心の底に積もり積もった憎しみの感情のはけ口を見つけることです。

あなたのうっ積した感情に響いてくる何かが、音楽や文学にはあるに違いありません。

その音楽にいつまでも耳を傾けることです。その時に、一般的に優れたものと定評のある文学や音楽を選んではなりません。

自分の心に響いてくるものがあるかないかが選ぶ基準です。外国文学でもいいし、日本文学でもいいし、古典でもいいし、大衆文学でもいいし何でもいいでしょう。