「自分の幸せ」を認められない理由

いつも「辛い、辛い! 」と言っている人がいます。何か良いことがあってもどうしても「自分が幸せ」と認められない人がいます。

それはもちろん不幸な過去を背負っているからですが、それにはいくつかの理由があります。

1つはそこで「私は幸せ」と思ってしまえば、いままで生きてきた自分の人生がなくなると思えてしまうからです。「私は幸せ」と思うことで、自分がなくなってしまうような気がするのです。いま、この些細なことで「幸せ」と感じたら、いままでの苦しみの意味がなくなってしまうように感じてしまいます。オレの不幸はそんな簡単なものではないと言いたいのでしょう。

たとえば、自分は芋で蜜を作っていました。そこに蜂蜜を持ってきた人がいました。その蜂蜜を「おいしい」と言つたら、自分の人生は何だったのかということです。

寒いところに長い間いました。そして暖かい部屋に入ってきました。その時に「暖かいですか? 」と聞かれたとする。しかし何となく不安で「ハイ」と言えないのです。

長いこと結核の療養をした。病気は治っています。しかし健康に自信がありません。「健康ですか? 」と聞かれます。すると何となく不安で「ハイ」と言えないのです。1937三年の石油ショックの時にトイレットペーパー騒動がありました。万一レットペーパーがなくなったら大変だというので主婦が買いに殺到しました。

たとえいま幸せでもいつ不幸になるか不安です。その人が「幸せです」と言えない理由の1つは、生きていることが不確かだからです。

 

生きることに疲れた原因を探す

毎日嘆いていても状況は変わらないのです。辛いのはいつまでたっても辛いのです。ただ辛い状況に耐えるだけの日が続くうちに人は消耗します。

こうして人は生きることに疲れていくのです。この人に限らず夫の悪口を言う人が電話をかけて相談します。離婚をするなら夫が元気なうちのほうがいいと離婚を勧めるでしょう。

しかし、なかなか「離婚する」とは言わないこの人たちは文句を言うことが主題で、解決しようとする意志はありません。そしてこういう人たちは周囲の人の悪口を言いながら生きているのです。

それは不幸になることそのことが、その人たちにとって復讐になつているからです。惨めに生きることが復讐になっている以上、相手の言うことを聞こうという意思がはじめからないのです。40年以上の長い間、悩みの相談をしてきた人が、悩み相談が相談であったことはまずないと言います。

だから悩みを訴えるだけで、最後には生きることに疲れていくのです。生きることに疲れた人は、自分がなぜ生きることに疲れたかを考えることです。

そこに必ず原因を見つけることができるはずです。先の女性で言えば、自分にとって苦しい時に何の心の支えにもならない夫や周囲の人の好意に執着しているのです。その執着の原因は、この女性の満たされていない幼児的願望にあります。この女性は、いま自分の周囲にいる人から人柄を礼賛されても、自分はこの苦しみを抜け出ることはできないということをしっかりと知ることなのです。

人生において魔法の杖はない

ところが、具体的な解決の提案をすると、彼女は気に入らない。たとえば、「それなら家を出ないで家にいたら」と言えば、「暴力があるから家にはいられないし、女がいる」と反論します。

「家庭裁判所に調停を申し立てたら」と言えば、「夫はプライドの高い人で、人から何かを言われてハイ、そうです、とはならない」と言います。

「調停が失敗したら離婚訴訟を起こしたら」と言えば、「7年続いていますが、外泊はないんです」と夫を弁護します。

この女性は私の言う具体的提案をことごとく即座に拒否します。それよりも具体的提案を続けると不愉快になります。

彼女は電話をしてきたが、明らかに解決の方法を相談しているのではないのです。表面的には相談という形をとっていますが、心の底で本当に求めているのは、「私の辛い気持ちを分かって」ということなのです。

「奥さんに隠れてそういうことを続けたことが問題だ」と言うと、「主人は仕事を大事にしている人だし、家庭を大切にする、私があまりすごいもんですからこういう風になってしまったんです」と、まるで主人のほうがかわいそうといわんばかりに私に反論してきます。

そして、「何か穏便に解決することはできないんですか? 」と「魔法の杖」を求める。残念ながら人生に魔法の杖はないのです。

この女性のジレンマは、自分が憎しみを持っている人から愛を求めていることにあります。この女性は、相手に自分の人柄を礼賛させつつ、自分の利己的要求を通そうとするから、「はい、でも」という優柔不断の典型になつてしまうのです。

幼児的願望が満たされていないから、周囲の人から「良い人」と言われたい、誉められたい。と同時に、自分の憎しみの感情を晴らしたい。それでは解決のための具体的な行動ができるわけがないのです。

したがってこの奥さんにとって大切なのは、事件を解決することではなくて、毎日「辛い、辛い」と嘆き、周囲の人に文句を言っていられる環境なのである。生