電話の人生相談で相談者が求めている言葉

電話の人生相談を二十年以上行っているベテランの心の専門家は、テレフォン人生相談などでもつくづく感じるのはこのことだと口を揃えます。

具体的に電話人生相談のある例で説明してみましょう。夫の愛人問題で、2週間前に家を黙って出た40歳の主婦からの電話相談です。

現在、実家にいますが、土曜日、日曜日には夫のいる家に帰ります。夫の愛人は45歳で関係は7年続いているとのことです。その愛人は夫に離婚するように迫つています。愛人は喫茶店を経営しています。午後5時に夫が店に入ると7時まで喫茶店を閉めてしまいます。

夫は暴力も振るうというのです。「離婚したら? 」と提案したら、「そのつもりはない」と即座に答え、そして「長い間別居しているということは不利にならないんですか? 」と聞いてきます。

「愛人から慰謝料をとりたいの? 」と聞くと、たちどころに「いえ、お金はいりません」と強く否定。

「家を出た私に生活費の仕送りはまったくない」と言うので、「婚姻費用の分担を家庭裁判所に申し出たら」と言うと、「下宿している大学生の子供に毎月の仕送りをしているから… 」と反論します。

さらに「下宿している子供に仕送りをしているのに、私にまで費用を送ってくれとは言えない」とも言うのです。彼女は貯金が2千万円あるのだそうです。

ここで心の専門家は、相談者に言っているのは事態解決の方法です。だから生きることに疲れた彼女はまったく専門家の提案を受け入れません。彼女が求めているのは、「婚姻費用の分担を家庭裁判所に申し出る」というような具体的な解決方法ではないのです。

「奥さん辛いねー、夫も愛人も酷い人だねー、それに比べてあなたは偉いよ」といぅ言葉を延々と言ってもらいたいということです。

「生活費の仕送りはまったくない」と言うのですから、「送ってもらう方法」を聞いているのかと思うと間違います。

彼女は事件を解決することより、「こんなに辛い」ということを訴えたいのです。「こんなに辛い」という気持ちを受けとめてもらいたいのです。そして自分の人柄の良さを専門家に印象づけることに関心があります。

だから、「まわりは酷い人なのに、あなたはよくできた人だね、あなたばかりが犠牲になつて、まわりは何て人たちだろうね」と言っていあげれば彼女は安らぐのでしょう。

「辛い気持ち」を身近な人が受けとめる

「病気になって、大変なことになってしまった…」というのは、大変な病気になったという意味ではありません。「大変なことになった」と騒ぐのは、「私にもっとやさしくして」と周囲の人に言っているのです。

「大変なことになった」という言葉は「私をもっと愛して」という意味です。「私の言うことを.もっと『おおごと』に聞いて」という意味です。「私のことを、大変ね、大変ねと、もっともっと騒いでほしい」という気持ちが込められています。

うつ病者が怪我をしようが、大学に落ちようが、失恋しょうが、そのこと自体の解決を求めているのではないのです。まず何よりも一緒に嘆いてくれることを求めているのです。それを周囲の人は、「人生って何でこんなに苦しいのだろう」と一緒に嘆くよりも先にうつ病者を励ましてしまうのです。うつ病者は励まされることを求めているのではありません。辛い気持ちを受けとめてくれることを求めているのです。うつ病者はとにかく愛を求めています。自分に起こつた事態の改善を求め求めているのではないのです。

まず何よりも「この辛い気持ちをくみとってほしい」ということです。事態の改善はその後でよいのです。

アメリカの進んだ柄院では治療に心理的ケアの担当者がつくことがあります。心理的ケアと医者が一緒になってチームを作って治療するのです。患者の抑うつ傾向を治療することが病気の治療に役に立つことが分かってきたからです。

人間関係で第一に大切なことは、相手の気持ちをくみとることです。それは普通の人でも同じです。心理的に健康な人でもそうです。ただ、このことが極めて深刻な影響を及ぼすのが、生きることに疲れた人に対してです。生きることに疲れた人に事態を改善する具体的提案をするのは、相手をもっと追い込むことになるので注意しなければいけません。

同じ体験でも解釈が健康な人とは異なる

「うつ病患者は他の人と体験が違うというわけではありません。体験は同じだ」とうつ病の研究者アーロン・T ・ペックさんは声を大にします。このことはうつ病者を理解するためには大変重要な言葉です。

たとえばうつ病者が怪我をした。あるいは「熱がある」と言いました。それは「怪我をした」、あるいは「熱がある」ということだけを言っているのではありません。そうなつた「自分は辛い」と訴えているのです。

そうなった「自分をもっと大切にしてくれ」と訴えているのです。同じに風邪を引いても、うつ病者と心理的に健康な人とは辛さが違います。その違いを理解しないで、周囲の人の世話は「風邪を治す」ということになつてしまいます。

だから、うつ病者は「誰も私のことを分かってくれない」と恨みを言うようになつてしまうのです。

うつ病者にとって辛いのは、風邪になったこと自体ではありません。うつ病になるような人は、もともといまを生きていることだけで精一杯だったのです。「もうこれ以上何か事件を持ってこないでくれ」と心の底で叫んでいました。そこにさらに、風邪という大事件が我が身に起きてしまいました。

そこで、「風邪になった、もう生きられない、助けてくれ」と訴えているのです。それなのに、周囲の人は風邪そのものを治そうとします。生きることに疲れた人とかうつ病になるような人にとって辛いのは、風邪になって「辛い」という気持ちを周囲に理解してもらえないことです。

うつ病者が風邪になって「辛い」と言います。すると心理的に健康な人は風邪を引いて辛いのだから風邪を治してあげればいいと思ってしまいます。

いいから「卵酒を飲んで早く寝ていなさい」と言います。周囲の人はうつ病者の「あー、風邪になってしまったー」受けとめるよりも、風邪を治すことに関心が行ってしまうでしょう。

求めているのは、風邪を治すことではないのです。うつ病者は生命力が落ちています。だから風邪になっても、そして風邪には卵酒がという嘆きの気持ちをうつ病者が周囲の人に普通の人よりも辛いのです。そこで風邪になってしまったことを嘆きます。その嘆きはなかなか周囲の人には理解できないものです。

うつ病者はその辛さを受けとめてくれることを周囲に求めているのです。「風邪を治してくれ」とは言っていないのです。辛い気持ちを受けとめてくれて、「大変ねー」「辛いわねー」「何であなたばかりがそんなに辛いことを体験することになるんだろうねー」と言ってくれればうつ病者いやは心が癒されるでしょう。

そして初めて普通の人と同じレベルの話ができるのです。つまり風邪を治すのは、それから先の問題になるのです。うつ病者にとって風邪そのものが最大の問題ではないのです。それが「うつ病者と普通の人とは体験が違うのではない」という意味です。うつ病の研究者アーロン・T・ペックは体験が違うのではなく、体験に対する解釈が違うといいます。そのとおりであるが、もう少し正確に言うと、同じ体験から生じる感情が違うのです。