最後に、自分の胸に聞いてみることは、寓話の中のカメのように、「自分はいままで何をしてきたのだろう」と考えたことがあるかということです。
考えたことがない人も多いのではないでしょうか。普通は生きることに疲れたなら、そう自分に問いかけておかしくはないのです。
疲れ果てて1人ポつんと、「いったい、オレはいままで何をしてきたのだろう? 」と考える時があるほうが自然です。
生きることに疲れたあなたが、それを口に出さないとすればどうしてでしょう。そう考えないあなたは、いまだにその人たちの期待に応えられないことを恐れているか、あるいはその人たちを恨んでいるかでしょう。
では逆にどういう人がそれを口に出すでしょう。もしある女性が、好きな男性のために自分の人生をかけて愛したとします。そしてその恋愛は失敗しました。
その女性の努力は何も生みださなかったのです。相手は幸せにはならなかったし、自分もいま幸せではないのです。
そうであれば、その女性は、「自分はいままで何をしてきたのだろう? 」と落ち込むはずです。
その女性は、自分は間違った生き方をしていないと、その時までは思っていたでしょう。
この努力はきっとうまくいくと思っていたでしょう。そう確信していたのに、その予測がはずれました。
そこで、「どうしてこんなことになってしまったのだろう」と嘆きます。この女性がこのように嘆くのはごくごく自然です。しかしあなたはこの女性と同じように努力をしてきました。
そして同じようにその努力は報われなかったのです。あなたはその女性と同じように、「自分は間違った生き方をしていない」と思っていました。しかし、いまあなたは生きることに疲れてしまったのです。どこに違いがあるのでしょうか?
この女性は相手を愛していました。相手の幸せのために頑張ったのです。そして自分の人生をかけたのに、相手は幸せにはならなかったのです。
そこで「自分はいままで何をしてきたのだろう?」と考えたのです。
しかし、あなたがこのように自分に問いかけなかったとすれば、それはあなたがこの女性のような生き方をしていなかったからでしょう。
あなたもこの女性も努力しました。女性は相手のために努力しました。しかしあなたは、自分が人からよく思ってもらうためだけの努力だったのではないでしょうか。それは自己執着的努力ではなかったからでしょう?。