明日まので命だとしたら何をするのか?

生きることに疲れたあなたは、休みながら3つのことを自分に質問してみることです。まず、1つは、もし明日死んでしまうとなったら、いま自分は何をするか?

その人たちに気に入られるために最後の力を振り絞るだろうか?ということです。

もう一度疲れた体に鞭を打つでしょうか。そうではないはずです。「この嫌な人のことなんかどうでもいい」と思うのではないでしょうか。

人生は平等に一度しかありません。本当に1回きりです。本当に人生は一度しかないと思ったあざむら、自分を無理に欺いて、人に迎合するでしょうか。

あなたはいままで「人生は一度しかない」と本気で思ったことがないはずです。多くの人がそうやって日々を暮らしています。

もし「この人生は一度しかない」と本気で思ったら、あなたは生き方が違ってくるはずです。

生きることに疲れると、思考が深まる

生きることに疲れたあなたはもしかしたら逞しくはなれなかったかもしれませんが、生きることに疲れることで、考えが深くなったはずです。

この時期を乗り越えれば、前に比べて考え深く、思いやりのある人になっています。あなたは人に迎合して生きてきました。その結果自分には不誠実に生きてきたということです。

これからは自分に誠実に生きることです。そうすれば自然と人には誠実になります。イソップ物語風に考えてみましょう。

カメがカエルと遊んでいました。カメは小さな魚をとってはカエルに分けてあげました。カエルが喜ぶとカメは嬉しくなりました。カエルと進んでいたカメは気がつくと海から随分離れていました。そして、あたりが暗くなっていました。

カエルは好物の蚊を美味しそうに食べています。カメはそれを眺めるばかりです。「自分はいったい何をしていたのだろう。カエルは食べ物さえ分けてくれない。分けてくれても蚊は食べられない。あー、どうしてこんなところまで来てしまったのだろう」とカメは悲しんでいます。

カメはもう大人になっていて、いまからではカエルの世界には溶け込むことはできません。苦労してついてきた自分は何をカエルに求めていたのか、この時初めて気付きました。

それは誰でもいいから、淋しい自分を慰めてほしかったのです。カメは海の友達も嫌いで、誰でもいいからその場を楽しませてもらいたかっただけなのです。

それがもっと早くわかっていれば、カメは自分に合った相手を選んでいたはずです。結局、カメは淋しさが原因で、いま、たった独りぼっちで淋しく野原にたたずむということになってしまいました。

生きることに疲れた人はこのカメと同じです。淋しい人は誉められることが嬉しいのです。人が自分に注目してくれることが嬉しいのです。そこで自分を見失ってしまいます。カメが自分を知っていれば、自分のエリアの中で心楽しむことができます。

自分をもっていればカメはカエルを深追いしなかったでしょう。自分の生き方に自信があれば、カエルに迎合しません。そんな頼もしいカメを見たらきっとカエルのほうが歩みよってくるでしょう。

小さい頃「良い子」であった子供が、大人になってから挫折する時も同じです。親の期待を実現するために頑張って官僚になったとします。

そして40歳になった。その時に自分は官僚には適していないと分かりました。しかし「この歳になってもう大学卒業の時と同じように新しいところには就職できない」と思うでしょう。それはカメが、「あー、どうしてこんなところまで来てしまったのだろう」と悩むのと同じです。

そうなった時に、中には自殺する人さえいます。自殺まで行かなくてもうつ病になる人もいるのです。

うつ病にならなくてもノイローゼになる人もいます。投げやりになってしまう人もいます。40歳になる前に17歳で事件を起こしてしまう人もいます。

皆どうしていいか分からなくなってしまった人々です。そんなこんなと考えながら人の一生は、あっという間に終わってしまうでしょう。

人生の真実が見えてくる

あなたが気に入られようとして身を削って生きてきた、その人はいまのあなたに何か助け船を出そうとしてくれているでしょうか?

その人に気に入られたいと無理をして嫌なことをしてきました。その人に気に入られたいと体に鞭を打って消耗しました。その人は溺れかかっているあなたに何かをいましてくれているでしょうか。

あなたが入学して喜んだ学校が、あなたが入社して得意になつた会社が、生命力の低下したあなたに、いま何か救助の手をさしのべてくれているでしょうか。

具体的なことをいっているのではありません。それらが心の支えになっているだろうかということです。

苦しい時に、何の心の支えにもならない学歴や職歴を得るために、あなたはどれほど努力してきたことか…。

愛情飢餓感が強ければ人は周囲に迎合します。それが人間の本性です。しかしそれが人間の本性でも、いまあなたはその迎合の無意味さを心底味わったのです。

嫌われるのを恐れてあなたは「好きです」と言ってきたのです。自分が嫌われないためにこういう迎合をして生きてきたのです。

「お茶、飲む? これおいしいのよ」と相手が言います。本当は飲みたくない。でも「飲みたい」と言ってきたのです。

すすめてくれたケーキは嫌いだけれども、「好きよ」と言うのが、あなたの日常生活だったのです。

辛い思いをして迎合しても、その人たちは苦しい時に誰も助けてくれません。あなたはいま心底体験でそのことを知ったのです。生命力の低下したあなたを理解してくれる人はいま周囲に誰もいないのです。

その周囲にあなたは迎合して生きてきたのです。生命力の低下したいまこそ、人生というものはこういうものだと理解する時なのです。

生きることに疲れた時、それは自分を理解する時です。生きることに疲れたあなたは、それを理解するためにいままで辛い人生を生きてきたのです。