惨めな人間関係を断つことが大事

生きることに疲れたあなたは、いま人間関係を整理する時期にきているということでもあります。生きることに疲れて休むあなたにイライラする人と関係を切る時期なのです。

あなたが休めば、あなたの人間関係が分かります。誰が誠実で、誰が不誠実かが分かるでしょう。

誰があなたを利用しょうとしてあなたにお世辞を言っていたのかが分かります。疲れて休んでいることがあなたの人間関係にとって望ましいのです。疲れて休まなければ、あなたのまわりで誰がずるい人で誰が誠実な人なのかということが分からないのです。

じつはもしあなたがこの機会にいままでの搾取的な人間関係を切れれば、あなたは自分に自信がつくでしょう。

生きることに疲れたあなたは、いま惨めな人間関係に閉じこめられているのです。いま、その牢獄から逃れる良い機会なのです。

ある生きることに疲れた人が、人間関係が変わった後で「あの人たちと別れてから、日々自分が強くなっていくように感じ始めました」と口にしています。

いまは元気になったその人も、別れた当時何か良くないことが起きるような気持ちになったこともあったといいます。

人は搾取される人間関係から逃れると、心配で、神経質になり、ものすごく警戒心が強くなります。

不思議なもので、人はどんな不利益なことでも長くそれにしたがっていると、それが当たり前となり、それがないと自分が不確かになります。

著者が患者に、「搾取者から離れなさい」と言ってもそのアドバイスは有効ではないといいます。

長く搾取されていると搾取されているほうが安心します。独りになるよりも搾取されているほうがまだ良いのでしょう。

しかし別れることができれば、心理的事情は一変します。時が経てば経つほど自分に自信が湧いてくるでしょう。

そして、「自分は、何ですべての意味において損することをしていたのだろう」と思うようになります。

と同時に、あなたは、「あの人たちは、私と別れて損したなと思っているに違いない」と思うようになります。

「あの人は宝物をなくしたと思っているだろうな」と思えるのでしょう。生きることに疲れたあなたが、いまあなたを取りまいている人と別れて損することは何もないのです。

ずるい人たちとの人間関係が切れれば、「これは一方的に良いことたびばかりだ」という気持ちが日増しに強くなります。その人たちを遠くから見る度に「別れて良かった、もう損をすることはない」という気持ちが強くなります。「もう搾取されない」という安心感が心に広がっていくでしょう。

 

周りの人に迷惑をかけても、とにかく休もう

生きることに疲れたあなたはいままで頑張りすぎたのです。頑張りすぎなければ生きることに疲れることはありません。

生きることに疲れたあなたは、いま休んでよいのです。自分の心も体も休ませてあげましょう。

自分の心も体もやさしくいたわってあげることが必要です。いまは「自分にやさしく、無理をしない」ことです。

いま休むことで周囲の人に迷惑をかけることを気にしているかもしれませんが、しかしいまあなたは休んでよいのです。

心身共に元気になったらその分何倍も頑張ればいいのです。いまはもうこれ以上頑張る必要はないのです。

周囲の人からの悪評を恐れることはありません。もう周囲の人から好かれる必要はないのです。いまは静かに休むことです。

「こんな日はひさしぶりだな」と思うような日を送ることでしょう。

いまあなたが静かに休むことであなたを蔑視する人がいれば、その人はあなたが頑張っている時には、あなたから搾取する人です。

そんな人と関係が切れて良かったと思うことがあなたのためになるのです。あなたが頑張っていれば、そういう人はあなたから搾取し続けるでしょう。あなたを利用し続けるでしょう。あなたは疲れ、その人は元気になって豊かになり続ければいいのです。

うつ病者の脳は年寄りと同じ

何が原因であるにせよ、うつ病になるような人は年齢に関係なく生きることに疲れたのです。よく、「若いのだから、もっと元気を!」と言いますが、うつ病者の脳は若くはないのです。

肉体的に若くても気力はないのです。肉体的に若くても生命力は落ちているということです。生命力が衰えていれば、肉体的に若くても意味がないのです。

アメリカのABC ニュースが朝の番組でうつ病特集をした時に聞いた忘れらせりふれない台詞を思い出します。

それは解説者が、「簡単に言えばうつ病の人の脳は年寄りの脳と同じである」と言った言葉です。

具体的には脳室が大きいというのです。日本に帰ってきて脳の権威である久保田博士に聞いたら首を傾げていたので、それが絶対に正しいとは言いきれないのですが、忘れられない台詞です。

うつ病になるような人はあまりにも長い間悲しみに耐え、情緒的虐待に耐え、激しいストレスの中で生きてきたのです。周囲の人に利用されて生きてきました。

奴隷のように周囲の人に都合良く扱われることに耐えて生きてきたのです。ずるい人にいいように扱われて生きてきました。

そして脳がすり切れたのです。肉体年齢はどうであれ、その間に脳はあまりの苦しみで老化していたのでしょう。

しかし脳の老化は外には見えません。周囲の人はいつまでもきついことを要求し続けます。

人は年寄りに「走れ」とは言いません。しかし脳の老化した人には「走れ」と言います。そして走れないと「なんで走れないんだ? 」と疑問を持ちます。赤ん坊が車道を歩いていれば、人は「アブナーイ! 」と言う。しかし赤ん坊の脳を持った大人が歩いていると、人は「馬鹿野郎!」と言い放ちます。