他人に思いやりを持てない

うつ病者はさらに罪責感に苦しみます。「患者は彼の存在が彼の当為に対して恥ずべきであることを、うつ病という拡大し歪める虫眼鏡の下で見いだすのである」

この点が自己実現している人とうつ病者の決定的な違いである。自己実現している人は、自己実現の研究者マズローによれば、実現をありのままに受けとめるといいます。

自分という存在は、「この存在と当為とのあいだのへだたりはあたかも探淵のように体験され、経験される」。当為と存在の緊張は、「うつ病)よってあらわに」なります。

うつ病が原因であって、存在と当為との問の緊張がうつ病の原因ではないのです。ひき潮で暗礁が現れても、ひき潮の原因が暗礁ではないと実存分析のフランクルは言います。

うつ病というのは生のひき潮のことです。ひき潮が進むにつれて暗礁は大きくなります。生命力に満ちあふれている人には、この「存在と当為の」暗礁はまったくといっていいほど現れません。

しかし現れないからといって良心がないわけではないのです。「存在と当為の」暗礁に苦しむうつ病者よりも、はるかに他人への思いやりはあります。

うつ病者は自分の心の葛藤で精一杯であるから、他人への思いやりなどはありません。それに比べて生命力のある人々は他人への温かい思いやりを持って生きているのです。

他人の心の痛みに無関心ではいられません。生命力のある人々は、自己執着の強いうつ病者に比べれば、心理的には「無」の状態に近い。自分のことよりも他人のことを考えるでしょう。

しかもそれらの行動が義務感ではなく、温かい愛情から出ているのです。「あるべき自分」と「現実の自分」の禿離には悩まないのですが、人々とうまくコミュニケーションができ、他人と一緒に楽しく生きられます。

うつ病それ自体は、「なんらか身体因性のもの1つの身体病であって、おそらく生命力の低下としてもっとも適切に特徴づけられるものであろう」。

「生命力低下自体の生み出すものは、まさに漠然とした不全感情にすぎないのですが、この病気に見舞われた当の人間は、ただ腹を射抜かれた猛獣みたいに、泳いで逃げるばかりでなく、その不全感を彼の良心、彼の神に対する罪として体験する」のです。

 

 

疲れているのにイライラする

生きることに疲れたあなたは、いままでとは違って何をやっても無意味感に苦しめられてしまいます。生きることに疲れたあなたは何事にも興味を失っています。じっは、いままでも自分がしていることが好きだつたわけではないのです。

周囲の人からの賞賛を得ていたからエネルギーが湧いていただけです。生きることに疲れたあなたは、いま気力が減退しているのに落ちつかないのです。色々なことにイライラしています。疲れているのに何でそこまでイライラするのでしょうか。その理由は2つあります。

1つは自分に満足していないからでしょう。心身共に疲れ果てているのにイライラするのは、長いこと自己実現していないからです。もう1つは心の底の無意識の領域に憎しみがあるからでしょう。

心が空虚なのは目的がないから

また、うつ病者の感情として、これらの他によくいわれるのが、「立ちあがれない」です。それは自分の人生の目的がなくて、まわりから振り回されて生きてきたからです。

自分の人生の目的があって頑張ってきたなら、失敗しても「立ちあがれない」という気持ちにはなりません。たとえ失敗しても自分の人生を生きたという充足感はあります。社会的に成功しながら、ある年齢でうつ病になる人がいます。

俳優として成功したり、司会者として有名になったりしても、おそらくそれが自分自身の目的ではなかったのでしょう。そういう人は社会的に成功しながらも心の底に深い絶望感があるに違いいありません。社会的に成功し、有名になりたいのは、愛を求めているからです。そして有名になりたかったから、有名になったことで嬉しかったでしょう。

しかしその人本来の仕事はたとえば司会者ではなかった。だからある年齢になるとうつ病になるのです。司会そのものが好きであれば、テレビに出られなくても、楽しい仕事は見つかるはずです。

しかし司会そのものが好きではなく、テレビで有名な司会者になることが目的であれば、テレビの仕事が終わった時には、あとに何も残されていません。

自分自身の目的がなくて長いこと生きてきたから、心の中が空っぽなのです。医者になったのも、部長になったのも自分の目的ではありません。周囲のなんとはなしの期待からそうなっただけです。

望みそのものがその人自身のものではなかった。うつ病になるような人は長いこと頑張って生きてきたが、振り返ってみれば自分の心の中は空っぽなのである。そこには達成感も、満足感も、連帯感もないのです。まさにうつ病者は空虚そのものです。

外側がどんなにきらびやかであっても、うつ病者を表すのは「空虚と憎悪」です。自分自身の目的を持った場合には、それが手に入っても手に入らなくてもうつ病者になることはないのではないでしょうか。そこには努力したあとの心の満足があります。そして周囲とコミュニケーションができるのです。